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「拝啓、お久しぶりでございます。本日は新居にお引越しされたと小耳にはさみ、ぜひ私からあなたに新築祝いのお品を差し上げようと思った次第です。もうずいぶんとお顔を見ておりませんが、さぞかし素敵な大人の男性におなりになられたことと存じます。高校時代は女生徒に随分おもてになりましたものね。みんなあなたにお熱を上げて大変でした。
その頃の私は恥ずかしがりやで、あなたを遠くからそっと見ていることしか出来ませんでした。それに私はクラス内でいじめられるような、とても惨めな存在でしたから……。
いつかの化学教室でのことを覚えておられますか。アンモニア水を加熱して、アンモニアを発生させるとかの実験をした日のことです。終業のチャイムが鳴って先生が、
"じゃあ、これで終わります。みんなで後片付けをして教室に戻るように"
とおっしゃて、さあ、片付けましょうとしたときに私はいやな視線を感じたのです。それで見渡しますと案の定、"じゃあ、あとはお願いね"と言って、クラスの子たちは片付けを全部私に押し付けて教室から出て行きました。
幼馴染で仲の良かった知恵ちゃんも(冴ちゃんごめんね)みたいな目だけを私に送って──。
私は悲しくて泣きそうになりました。
一人化学教室に取り残された私が、こらえきれずに涙を一滴手の甲に溢したときでした。机に手を付いてうなだれていた私の顔の前にそっと、白いハンカチが差し出されたのです。私がはっとして顔を上げると、甲斐賢二さんあなたでした。あなたは一度教室を出て、また戻って来て下さったのですね。
そして"僕も手伝うよ"とおっしゃって下さって──。
あの一言にどれだけ私が救われたか。
それからあなたは相変わらず鈍臭い私の二倍くらいの手早さで、丸型フラスコや水槽や取り付けスタンドなどの実験道具の片づけをして下さって"じゃあ"とまた短い言葉を残して教室から出て行かれました。私の気持ちが天にも昇ったのは、ここでわざわざ書くまでもありません」
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