仕事に音楽に、そして恋愛と

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 天職を見つけたわたしは幸せだと思う。  『音楽漬けの人生を送りたい   no music,no life』  物心ついた時から、テレビよりもオーディオから音楽が流れている家だった。両親共に音楽が好きで、壁一面に面陳されたCDに囲まれて育ってきた。  おそらくわたしの身体は遺伝子レベルで音楽というもので構成されているだろう。    大学入学と共に始めたレンタルショップでのアルバイト。棚に並ぶCDの数々にときめき、推しのアーティストには勝手にポップとコーナーを閉店作業時に作り、店長はじめ、スタッフ一同にドン引きされたのはいい思い出だ。  ——あれから6年。  店長の推薦もあって大学卒業と同時に正社員となり、わたしの人生は既にバラ色コースだ。  サービス業で不規則な休みでも、給料が安いと言われようとも、四六時中流れる音楽とCDに囲まれて働ける幸せは何物にも変え難い。 「吉木ちゃんまだいたの」 「店長お疲れ様です」 「早く帰れよー。この前エリアマネージャーなんか『吉木は社畜の鑑だなー』て笑顔で言ってたからな」 「店長だって映画オタクの社畜一歩手前じゃないですか」 「俺はもう30も半分過ぎたオッサンだからな。吉木ちゃんはまだ若いんだから楽しんでよ」 「楽しんでますよ。人生バラ色ですよ。店長には感謝しきれません」  わたしを社員に推薦してくれた張本人は、どうやらわたしを社畜にしてしまったことを後悔しているようで、気にかけてくれる優しい人だ。  今日は趣味の居残りではなく、普通に閉店作業中なため社畜でも何でもない。ただの業務である。 「吉木ちゃんには言っておこうと思ったんだ」 「なんです? 次のシフトですか?」 「来月頭でエリアマネージャーになるんだよね、だからあと半月で店長変わるんだわ」 「……それ結構大事な話じゃありません?」  だから最近店舗にいない日が多かったのか。エリアマネージャーだとあまり現場に出る機会がなくなるだろうな、と店長を見ながら思う。わたしの音楽狂に引けを取らないくらいの映画マニアの店長。勝手にコーナー展開して、元々のコーナーを縮小することもザラだ。 「店長は店舗好きそうだったから少し残念です」 「まあね、コーナー弄り倒すのが出来なくなるのは寂しいかな」 「でも出世ですしね、おめでとうございます」  わたしはクルリと椅子を回転させ、店長に頭を下げる。急な話すぎて送別会なども出来るかわからない。何かプレゼントくらいは用意した方がいいだろう。 「ほんと急すぎます。もう少し早く言ってくれたら色々と準備出来ましたよ」 「あんまりしんみりするのもね」 「しんみりはしないです」 「吉木ちゃんヒドイ」  店長は笑いながら閉店作業を手伝い始めた。売り上げの確認をお願いし、わたしはシフトの確認と明日の早朝作業の準備をする。 「店長、何か欲しいものあったら言ってくださいね。みんなで買いに行きますから。高級すぎたり入手困難な物もダメです」 「吉木ちゃん」 「はい」 「だから吉木ちゃん」 「……だからなんですか、店長」 「吉木ちゃんを頂戴」 「……頭、大丈夫ですか?」 「至って正常」 「わたし物じゃないですけど」 「知ってるよ」 「……わたし、ですか?」 「そう、好きだよ。吉木ちゃん」  店長はお金を数える手を止めないから、わたしは買われるんだろうかと思ってしまう。  微妙な間が生まれ、店長のお札を数える音が無駄に響く。小気味良い音にリズムを取りそうになるのを抑え、店長の作業の終わりを待つ。 「吉木ちゃんは音楽があれば生きていけるじゃんね?」  唐突に話し出す店長に一瞬戸惑いもあったが、店長の言葉を反芻して頷く。 「そうですね、この仕事も自分の糧ですから」 「俺も映画さえあれば生きていけるんだけどさ。少し欲張りになったようで」  パチンと最後の一枚を指で弾いて、店長は今日の売り上げ分のお札と小銭を金庫に入れる。ガチャリと鍵をかけ、わたしに向き直る。 「吉木ちゃんを隣に座らせて映画を見て、おすすめのCDを聴きながら一緒に休みを過ごしたいなと思ってね」 「……でも店長、わたし休みの日は基本ライブで全国飛び回ってますけど」  店長はわたしの言葉に目を丸くしたけれど、すぐに破顔してお腹を抱えて笑い出した。  ——こんな店長初めて見たな。 「知ってる。この前も閉店作業後にフェス行ったんでしょ。そんな破天荒で音楽に全てを捧げる吉木ちゃんがいいんだよ」 「……店長って趣味悪いですね」 「本人にそんなこと面と向かって言えるところも好きだよ」  多分、わたしは何とも形容し難い表情で店長を見ていると思う。  恥ずかしさと嬉しさと店長の呆れ具合さとで、顔の表情筋が攣りそうだ。 「吉木ちゃんのスタイルでいいよ。ただ俺が、吉木ちゃんの生活に少しお邪魔して、吉木ちゃんの一部に溶け込めたらいいなと思うけどね」 「なんか言い方がエロいです」 「まあオッサンだしね」  たしかに一回りくらい年も違うな。 「オッサンが久しぶりに若い子に恋したんだ。ちょっと夢見させてくれていいんじゃない?」 「人任せですね」 「これでも頑張ったんだけど」 「わたし半年先くらいまでびっしりライブ入ってますよ」 「いいよ」 「おしゃれも美容も興味ないですよ」 「Tシャツにタイトなジーパン似合ってるじゃん」 「まあ料理は好きですけど」 「今度なんか作ってよ」 「わたし店長のこと好きじゃないですよ」 「これから好きになって」  なんか本気なんだか遊びなんだかわからなくなってきたけど、多分店長は本気なんだろうなと思う。  わたしの返しに1つも詰まらず返事をして、わたしの目をずっと見続けているから。  わたしも緊張していたようで、店長の気持ちを理解したら肩の力が抜けてため息が出たから。全くもって変な店長だ。 「音楽命な女子でいいなら、お友達から始めましょう」 「問題ないよ」 「もしこのまま結婚することになっても仕事辞めませんよ」 「……そんなに仕事好きなのね」  流石に驚いたようで、おお……と息を呑む店長が面白い。 「だって店長がわたしをここに導いてくれたんですから。辞めませんよ」  ここは天職、わたしの生きる場所なんですから。    
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