第52話「不意」

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第52話「不意」

「え?これから?」 駅に向かう途中に義人の携帯電話に着信が入り、街の喧騒の中では聞こえ辛い通話音の音量を上げて、電話の向こうの里音の声を聞いた。 《そー!ご飯食べに行こうよ皆んなで!》 いつも通りの明るく呑気な声がする。 藤崎は義人が握って耳に当てている携帯電話の裏面に耳を押し付けて会話を聞こうとしていた。 「あー、うん、俺は良いけど」 「俺も良いよ」 「え?」 普段なら自分に里音を近付けたがらない筈の藤崎が、きちんと聞こえたのか賛同の返事を通話口に返す。 義人はすぐ横に来た藤崎の顔を、キョトンと目を大きくして振り向いた。 11時半過ぎ。 大城がオフィスの外まで見送りに出てきて別れを言ったのは数分前の事だ。 「久遠くん、義人くん。今回の件は僕も謝らないといけない。電話越しではなくきちんと。本当に、ごめんね」 2人を見下ろしながら大城は眉尻を下げ、グッと口を引き結ぶ。そして頭を下げた。 今日はよく大人に頭を下げられるな、と義人はもう呑気な事を考えていて、藤崎は締まりのない義人の様子を見てすぐさま、もう義人の中では昨日の事は「過去」になっているのだなと納得した。 「教授、顔をあげて下さい。もう菅原さんとの縁も切りましたし、言いたいことは全部佐藤が言ったので、これでおしまいです」 藤崎がにこやかにそう言うと、大城は顔をあげて少し困ったような表情をする。 対して義人も毒気のない笑みで大城を見上げていた。 「藤崎と帰ります。色々ご配慮下さってありがとうございました」 大城は大したものだと思った。 まだまだ若く、彼からしてみればあどけなさも抜け切らない大学生の2人が、大人の嫉妬やら性欲で犯罪に巻き込まれていたと言うのに今では2人揃ってけろっとしている。 「うん」 「今度はこう言うのではなくて、普通の教授と学生として宜しくお願いします」 「そうだね。ああ、あと、光緒くんの父親と友達としてね」 「ミツ、大丈夫ですか?」 「大丈夫だよ。最近忙しくて会えてなかったから少し拗ねてるけど、相変わらず家には帰ってきてくれてるし。ちゃんと玄関まで出迎えに来てくれるから」 「あー、、」 藤崎はそれを聞くなり、光緒の恋の道はまだまだ成就まで遠そうだな、と目を細めた。 何となく察した義人も困ったように苦笑いをして、何にも気が付いていない大城に、「それでは」と頭を下げる。 「色々ありがとうございました。失礼します」 「また今度、ゆっくりお酒でも」 「そうだね。義人くんも今度うちにおいで。光緒くんと遊んであげて」 「はい!」 2人はもう一度揃って頭を下げ、歩幅を合わせて歩き出した。 そして、駅の近くまで来たところで里音からの電話に気が付いたのだ。 「珍しいな、お前がすぐOK出すの」 滝野、光緒、入山、遠藤、和久井を入れた8人で夕飯を食べようと言う里音の提案を承諾し、彼女の行きつけのレストランまで向かう事になった。 詳細は後から連絡が来るらしい。 義人は通話終了のボタンを押してズボンの尻ポケットに携帯電話を滑り込ませると、改めて藤崎を見つめる。 「まあ、たまには」 今日は気に入っている小さめのサコッシュではなく大きめのボディバッグを持ってきている藤崎は、そのバッグのジッパーを触りながら義人から視線を外してもごもごしながら言った。 (何だ?きもちわる) 4月の終わりの土曜日。 表参道は人で溢れている。 忙しなく歩く会社員や買い物に来ている女の子数人のグループ。カップルも多く道を歩いており、車通りも増していた。 骨董品や陶器がショーウィンドウに並ぶ通りの角の店で左に曲がり、義人と藤崎はすぐそこにある駅の改札へ向かう階段を下って行った。 「え、ここめっちゃ遠くない?」 連絡用アプリのグループメッセージに送られてきた里音の予約したレストランのサイトを見て、義人は顔を顰める。 「あ、俺行ったことあるから任せて、大丈夫大丈夫。そのページ消して良いよ」 「イタリア食堂」と書かれたページを見ていたが、藤崎が何処か焦ったようにそう言うと、義人は「あ、そう」とさっさと携帯電話をOFFにして再びポケットに戻した。 地下通路を歩き回り、何個か階段を降りた後に見えてきた改札へ行き、電子カードをピッと鳴らして中に入る。 「珍しいよな、りいも。急だし」 「光緒に会うの久々だしね」 2人はホームで2分後に来る電車を待ちながら、先程大城と交わした会話を思い出してお互いの顔を見合わせて笑った。 「何はともあれ、とりあえず終わったね」 藤崎は穏やかな声でそう言うと、人目がない事を確認して義人の手先を少しだけ握る。 ホームの外れ、線路を挟んで反対側の壁には保険会社の看板が固定されている。テレビCMでよく見るところのものだ。 「お前さっき全然納得してなかったろ」 面白がるように言われ、少しだけギュッと彼の指先握った。 「俺は今でも訴えたい」 怒っているのではないが、事実がそうである限り、藤崎は少しムッとして見せる。 近くのスピーカーから、「間も無く、1番線にー、」と彼らが待っている電車がホームに入ってくる放送が流れた。 外は人が多かったが、駅の中、特にこのホームにはあまり電車を待つ人間の姿は見当たらなかった。昼時と言うのもあるのかもしれない。 「ダメ」 きゅ、と義人も藤崎の手を握り返す。 「これ以上ダラダラと掻き乱されたくない。俺は藤崎とのどうでもいい日常に早く戻りたい」 「っ、」 どうして時々、義人はこうも格好良くなるのだろうか。 藤崎はまた胸が高鳴るのを感じていた。 ニッと眩しく笑いながらもハッキリと自分の意見を言い、そして藤崎が言い返せないように彼なりの藤崎への愛をいつも話して聞かせてくれる。 義人は良く藤崎の方が愛情表現が上手いと思っているが、実はそうでもない。 義人は義人で、彼の中にある他の誰かが声に出す事を難しがるような事を形にして、ちゃんと藤崎に伝えているのだ。 「そう言うところ、すごく好き」 「はあ?、、って、え?」 見上げた先の顔を真っ赤に染めた藤崎の切なそうな表情に、義人はグッと息を呑み込んだ。 (何で??) 顔が整い切っている藤崎がそう言う表情をすると、謀らずとも実に色っぽく見える。 こうして不意を突かれて照れているが、義人がこう言った発言を無意識にやってのけるところが藤崎からすれば憎たらしくて、心配になる原因でもあった。 「本当にそう言うの俺にしか言わないで」 「え、ええ、、?」 藤崎が顔を赤らめている理由もその言葉の意味も理解できず、とりあえず彼を片手で仰ぎ始める義人を見て更に藤崎は胸が苦しくなった。 (何でこうカッコ良くて可愛くて無防備なんだろ、俺の彼氏様) 頭にたくさん疑問符を浮かべたような表情をして必死に手をパタパタさせながら自分の顔に微風を送る彼を、どうしようもなく藤崎は愛していた。 赤面して熱くなった自分を気遣ってくれるところも、誠実で真面目で実に義人らしい愛らしさがある。 お互いに人が少ない事が確認できている状況でもあり、彼は少しだけ、と握っていた義人の手を自分の方へ強く引き寄せた。 「わっ、!」 今度は不意を突かれた義人。 藤崎の腕にすぽっと収まりながら、同じ柔軟剤の匂いに包まれて顔が熱くなるのを感じた。 「待て待て待て待て!ここ駅だぞやめろ!」 声が響かないよう、義人は小声で藤崎の胸板をドン!と叩く。 「うっふ!今日も強めだね」 「は、な、せ!」 「んー、あと10秒だけ」 「はあ!?」 ホームの反対端から電車が近づいてくる音がし始めた。 ホームに突き立っている直径1メートル程の柱のその影に隠れながら、近くまで来ていた車掌から身を隠して藤崎は義人を抱きしめている。 10、9、8、、5秒まで来たところで限界を感じ、義人は少しだけ靴の踵を持ち上げた。 「佐藤く、、ん」 暴れて逃げられると思った。 離したくない、と言おうとした藤崎の唇に、ちゅ、とキスをする義人。 突然の事に驚いた藤崎は、パッと義人を抱きしめていた腕の力を緩めてしまった。 「はい、友達モードに戻れ」 恥ずかしそうに顔を逸らし、腕からすり抜けた義人は線路側を向いた。 何が起きたのか頭が追い付いてこない藤崎は、目の前に勢いよく電車が滑り込んできたところで、車輪を止めようとするブレーキ音に脳を揺さぶられ、やっと義人からキスをされたのだと理解した。 「え、、え、何今の、ドラマみたいだった」 「おー、もう終わりな。最終回」 「嫌だ!!再放送して!!」 「ダメだ!!」 「じゃあ続編作って!!」 再び自分に抱きつく為、飛びかかろうとしてきた藤崎を避ける。 電車のドアが開くまでの数秒、男子大学生2人は地下鉄の駅のホームでふざけて取っ組み合いをしていた。
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