第一話 ビターとホワイトチョコレート

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こぽこぽこぽ・・・ ネルドリップを通して落ちるコーヒーの心地良い音とともに、部屋中に良い香りが広がる。コーヒーを入れているのは自分ではない。佐良(さら)だ。佐良(さら)は自分の部屋の小さなオープンキッチンでコーヒーを入れている。それを少し離れたところから、砥部は見つめていた。 今日はバイトのあと、佐良(さら)のアパートでコーヒーを入れる練習に付き合う約束をしていた。断る理由もないので来たが、今日はなんだか落ち着かない。佐良(さら)の入れ方は前よりずっと様になっているのに、今日はなかなか言葉が出てこない。 というのも、いつもと同じ部屋なのに、佐良(さら)がいつもより近くに感じられてしかたないのだ。それどころか、キッチンでコーヒーを入れる佐良(さら)を正視することすらできない。さらさらの黒髪も潤んだ黒い瞳も少し開いた襟元からみえる白い肌もいつもと同じなのに、見ただけでどぎまぎしてしまう。頭の中で七見が言った言葉が何度も繰り返される。 『砥部くんってホント佐良(さら)くんのこと好きだなあって』 俺、そんなふうに見えるんだ。 今まで一度も佐良(さら)をそのように見たことはない。ナンパを撃退するのも単に迷惑だろうと考えたからだ。そうだったはずなのに。 気がつけば、目の前にコーヒーカップが出される。佐良(さら)は長いまつげを伏せ、ちょっと恥ずかしそうに微笑む。 「うまく入っているといいんだけど」 「大丈夫だって、入れ方もだいぶ様になってきたな」 そう言いながらも、砥部はコーヒーカップを受け取ると黙ってそれを口にした。どこか柑橘系のような風味と、心地よい苦味、酸味もコクもちょうど良い。 「コスタリカ?美味しい」 その言葉に佐良(さら)は嬉しそうに微笑むと、砥部の隣に座る。コーヒーだけではない、ふわりと良い匂いがする。途端に砥部はいたたまれなくなった。七見の声がふたたび頭の中で繰り返される。 『砥部くんってホント佐良(さら)くんのこと好きだなあって』 そんなことないって・・・相手は男だし・・・ いや、本当はそうじゃない。砥部は気づいていた。 正直に言えば、最初に見た時、すげー綺麗な子だなと思った。でもそれ以上に真面目で一生懸命で、だからこそ不器用で、ほっとけなかった。それに話してみれば、意外に話題豊富で、好きな事が一緒で、一緒にいると楽しかった。だから佐良(さら)と出会ってから、彼女を作ろうと思ったことさえない。 何より・・・ 普段適当でいいかげんと言われる俺が、いつか自分で選んだコーヒー豆を扱うカフェを開きたいという夢を話した時、笑わないで聞いてくれたのは 佐良(さら)だけだ。 砥部はやっと口を開いた。 「あのさ」 しかしその声に弾かれるように、佐良(さら)は突然立ち上がると何かを手にした。そしてそれを砥部の目の前に差し出す。 「これ、クリスマス限定チョコレートの試供品」 見れば、綺麗な緑色の小皿に、ホワイトチョコレートとビターチョコレートがふたつ仲良く並んでいる。佐良(さら)は一度目を伏せたが、決意したように砥部を見つめると言った。 「店長に言わせるとさ、ホワイトチョコレートの方が俺で、こっちのビターチョコレートが先輩なんだって」 「だから・・・ホワイトチョコレートの方、食べてみて」 何言ってんだ? しかし砥部は言われるがままに、ホワイトチョコレートの方を口にする。途端にカカオバターの甘みとナッツクリームのほろ苦くてしっかりしたコクが口に広がる。また七見の声が聞こえた。 『大丈夫よ、佐良(さら)くんだって、意外としっかりしてるんだから』 その途端、砥部はその言葉の本当の意味がわかった。砥部は笑いながら佐良(さら)に聞く。 「お前、見た目よりしっかりしてるよな」 「だから本当はあの子たちなんて、自分で撃退できたよな」 「・・・俺に、やきもち焼かせたかった?」 途端に、佐良(さら)の白い頬が真っ赤になる。それでもぎゅっと手を握り、佐良(さら)は砥部を、あのいつも潤んだような黒い瞳で見つめ、つぶやく。 「俺、こんなだから外側しか見てくれないひとしかいなかった、だから誰かを好きになるなんてなかった」 「でもちゃんと中身を見て相手してくれる先輩に出会って、その・・・はじめて・・・」 しかし佐良(さら)の口からはそれ以上言葉が出てこなかった。砥部がその口をふさいだからだ。ふたりの口の中にコーヒーだけでなく、カカオバターの甘みとナッツクリームのほろ苦くてしっかりしたコクが広がる。 砥部からやっと開放された佐良(さら)が黒い瞳を見開いて、砥部を見つめる。砥部はにやりと笑った。 「で、俺はどんな味がするの?」 ついに佐良(さら)が笑い、そしてビターチョコレートを自分の口に入れる。次の瞬間、砥部の口の中でビターチョコレートのほろ苦さとベリーの甘酸っぱさが広がった。砥部はつい心の中で微笑んだ。 俺って中身は甘酸っぱいんだ・・・ 砥部は口の中で、ビターとホワイトチョコレートだけでなく、ベリーの甘酸っぱさとナッツクリームのしっかりしたコクが融け合うのを感じながら、佐良(さら)の小柄な背にそっと手を回した。 水曜日ニハ恋ヲ知ル-1 ビターとホワイトチョコレート ー了ー
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