第二話 2週遅れのバレンタイン

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突然向けられた好意は、ときに痛みを伴うことを知ったのはごく最近のことだ。 俺はコピーを取りながら、そっと電話中の同期武田を盗み見た。営業にしては少し長い前髪、アーモンドみたいな切れ長の瞳、すっと通った鼻、尖った顎、イケメンと言っていいだろう。その上クールで仕事も出来るから、必要なとき以外ほとんど話さないのに営業部女性社員の人気No.1らしい。という俺も電話口に向かって話す武田の低くて甘い声は、楽器でいえばチェロみたいに心地良いと思う。でもそんな声はもう自分には向けられないと思うといたたまれなくて、出来上がったコピーをガッと掴むとフロアから出た。 全部自分のせいなのに何やってんだ…… でも、突然すぎた。だからちゃんと答えられなかった。 武田が俺を好きということに。 * あれはバレンタインの翌週、ノー残業デーの水曜日だ。いつも通り、俺のアパートで同期の武田と宅飲みしていたときのことだ。俺が用意した刺し身で作る簡単なカルパッチョやらチーズやらのつまみが無くなったところに、武田がテーブルの上にどさっと何かを投げ出した。 「これもつまみにしよ」 俺は目を丸くして声をあげた。 「これってバレンタインのチョコレートじゃん!」 テーブルの上には綺麗に包装されたチョコレート、一体いくつあるのだろう?明らかに本命チョコもある。 「一応食べ物だし、早く食べたほうがいいのかなって」 武田はそう言うと、めんどくさそうに横を向いた。武田とは2年前に同期入社、同期会をきっかけに親しくなり、ここ最近はほぼ毎週水曜日ふたりで宅飲みしている。営業部と販売促進部、部署は違えど、いや違うからこそ、宅飲みでお互いの話をしていると、仕事のヒントになることも見つかったりするし、何より武田の落ち着いた低い声で慰められたり、諭されるのは俺にとってとても大切な時間だった。ただ武田の女性に対しての態度はあまり好きではない。冷たいというか雑というか。俺はしばらくそのカラフルな包みを眺めていたが、それを全部武田の方に押し返した。 「もらったなら、ちゃんと食べてあげないと駄目だよ」 俺の言葉に、武田は俺をちょっと睨む。 「そういう石井はどうなんだよ」 あれ? 武田のクールというより機嫌を損ねたような言い方に、俺は驚いた。確かに俺は先週アシスタントの子に呼び出されチョコレートを渡された。その事を知っているのだろうか。俺は首をかしげると、武田の横顔を見つめる。 「うーん、俺ははっきり義理ってわかるやつはもらうけど、そうじゃなかったら断るよ。気をもたせるようなことしたくない」 実際、俺は断った。泣かれたがしかたがない。武田が驚いたように俺の方を見ると、あの低い甘い声でつぶやく。 「石井は優しいんだな」 優しいと言われて、俺は少し恥ずかしくなった。 「いや優しいのかどうかわかんないよ。でも、そういうの簡単に受け取るのってひとの気持ち雑に扱う感じがするし、はっきりしなくて嫌なんだ」 真面目な顔をして言う俺を武田があのアーモンドみたいな切れ長の瞳でまじまじと見つめる。俺はつい目を伏せた。やっと武田が口を開く。 「バレンタインってさ、ホントは男がデートプラン練って花とかカードとかプレゼントするもんなんだろ?で、気持ちを確かめあうっていうか」 「へえ、そうなんだ」 いつもの調子に戻った武田の声に安心して俺は顔をあげた。武田がさらに続ける。 「日本のはチョコレートメーカーの戦略っていうか、なんかそういうキャンペーンが始まりって聞いたことある。だから、あんまり深く考えた事なかった」 そう言うと、武田はテーブルの上のチョコレートをざっと集めた。 「俺、これ返すわ。好きなひとがいるからって」 「え!そんな子いんの!?」 俺はつい声をあげた。あんなに女性社員に雑な武田が好きな子って誰だろう。すると武田のアーモンドみたいな綺麗な瞳が俺をじっと見つめた。 「お前なんだけど」 俺は目を見開いた。驚きすぎて、声が出ない。武田が少し悲しげに笑った。 「その様子じゃ、もうここには来れそうにないな」 チェロみたいに低く甘い声を残して、武田は俺の部屋から出ていった。 * はあ…… 俺はため息をついた。あれから1週間、武田とは話をしていない。はっきりしないと嫌と言っておきながら、俺は武田にきっぱり断ることが出来なかった。でも、突然友達だと思っていた男に好きだと言われてもわからない。何よりあんなに楽しみにしていた水曜日がもう来ないと思うと辛い。 友達じゃ、だめなんだろうか…… そんなことを考えていたその時だった。女子社員の声が耳に飛び込んでくる。 「あの武田くんが吉井さん呼び出したんだって!」
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