3 Tall girl - あと3センチの恋

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会議室によく通る声が響く。前に立ち質問に答えているのは山口修輔だ。 会議室にいるのは美浦、修輔、人事部課長だけではない。各部署の新入社員研修担当者、さらには人事部部長もいる。名目は研修時間の割り振りに関する”最終調整”。これだけのひとを集めたのは美浦ではない。修輔を押したIT管理課のインストラクション担当山口佐恵子。前任者としてのつてを使って直接人事部部長に働きかけてもらった。 美浦は嫌がらせに近い指摘を続けた課長を直接糾弾するよりも、各部署の担当を集めどれだけ時間が必要かプレゼンしてもらい、最終決定を人事部部長に任せるほうが得策だと考えた。しかも課長お気に入りの佐恵子の提案で。つまりは美浦は佐恵子にパスを出し、人事部部長を引き出した。パスを出した美浦は会議室の端で見守れば良い。 美浦はこの会議がもうひとつの意味を持っていると知っていた。修輔のお披露目だ。課長の指摘が佐恵子への私的感情や修輔への不信感からと決めつけることは出来ないが、新入社員研修は大役、入社2年目の社員がどれだけできるのかと思っているものはいるかもしれない。佐恵子には今後修輔のサポートをするようお願いし、会議にも出席して明言してもらったがそれだけでは足りない。修輔自身がそれだけの(うつわ)か皆に示す必要がある。 しかしその心配は稀有に終わった。IT管理課の代表として前に立った修輔は長かった髪をさっぱりと切り、見えるようになったきりりとした眉とその下の大きな丸い瞳をしっかりと各部署担当者に向け、それぞれの質問によく通る声で理路整然と答えた。そこには常にイヤホンをして肩肘をつき外界を遮断していた修輔はいない。自信さえつけばそれだけできる実力はあったのだろう。美浦は少しアドバイスをして、徹底的に質疑応答の練習をするように言っただけ。修輔が話し終わったとき、人事部部長がにこやかに言った。 「なるほど、2年目とは思えないな。今年のIT管理課も期待できそうだ」 自然に拍手が起きる。くしゃっと嬉しそうに笑う修輔に、美浦はついパスを受けた修輔がシュートを決めた瞬間をイメージしていた。 * 「ずいぶん短期間で仕上げたな」 美浦に課長が声をかける。少し不服そうだが、満足げでもある。美浦はすまして答えた。 「もともと実力があったんですよ。なんといってもうちの人事がとった社員ですから」 「その通りだ、悪かった」 課長の謝罪にどんな意味があるのか美浦は追求しなかった。バスケと違い逃げ道を用意するのが得策だと、足早に会議室を出ていく課長の背中を見ながら美浦は思う。すると今度は後ろから声がかかった。 「加賀さん」 修輔だ。まだ会議室の奥にひとり残っている。美浦が近づくと修輔が深々と頭を下げる。 「今回は本当にありがとうございました」 そう言って顔を上げたときのやりきったというばかりの笑顔に、美浦は少しどきりとする。見た目の問題ではない。何かをやりきったひとは素敵に見える。恥ずかしくなり美浦はついからかうように言った。 「山口くんの実力でしょ。でも、髪を切れとまでは言わなかったじゃない?」 美浦の指摘に、修輔が少し照れたようにさっぱりとした髪に手をやる。 「いや、これはちょっと違うんです」 そう言うと、ポケットからイヤホンを取り出す。そして自分の耳に片方を入れると、もう片方を美浦の耳に入れた。途端にあの旋律が耳にこぼれる。 パッヘルベルのカノン 思わず美浦は修輔を見た。髪を切って少し幼くなった修輔と過去の思い出が重なる。 「もしかして……」 美浦はつぶやいた。高校のとき、試合前に突然近づいてきた少年がいた。その子は修輔と同じ大きな茶色の丸い瞳を持ち、今の修輔のような髪型だった。修輔が恥ずかしそうに笑う。 「俺バスケやってて、中学の時、高校生の試合を見に行ったんです。そこで見たポイントガードがすごくカッコ良くて、そのひとイヤホンして集中してるのに俺が何聞いてるのか聞いたら、今と同じように俺の耳にイヤホンを入れてくれました。そのときこの曲の名を教えてくれたんです」 修輔は一旦口を閉ざした。そしてまるで決心するかのようにほおと息を吐くと言った。 「入社したらそのひとがいて驚いたけど覚えてるはずなくて、そのひとは変わらず背筋ピンと伸ばしてすごくカッ良いのに、俺はなんかこじらせてて」 そこまで言うと、修輔はあの丸い茶色の瞳で美浦を見た。 「でも今回加賀さんに褒めてもらって、バスケやっていたときのように俺もまっすぐ頑張ったら、少しは俺のこと思い出して気にかけてくれるかなって」 その言葉に、美浦は真っ赤になる。それだけではない。同じイヤホンを使い、さらには目線が同じせいで、あの瞳まで驚くほど近い。美浦は目を伏せる。 「私、カッコよくないよ、中身おっさんだし」 美浦の言葉に、修輔は驚いたような顔をした。しかし修輔はすぐ切り返す。 「じゃあ俺はこじらせたガキです」 美浦はぷぷっと笑った。そして顔を上げ修輔を見る。 「ガキじゃないよ、今日の山口くんは大人ですごくカッコよかった」 今度は修輔のほうが真っ赤になる。しかし同じ目線上にある茶色い瞳に何かが灯る。その瞳が不器用に近づいてくる。あと3センチ、美浦はつい目を閉じる。 身長差の3センチより、この3センチのほうがずっと大事だったなんて…… 不器用に近づくあと3センチを、イヤホンからこぼれる聞き慣れた旋律が励まし続けていた。 水曜日ニハ恋ヲシテ-3 Tall girl - あと3センチの恋 ーfinー
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