#04 アルバイト

2/2
前へ
/92ページ
次へ
   「風がキモチイイ!」  初めてのバイクは爽快だった。乗る寸前まで抵抗していたのに、走り出したらスピード感が心地よくて胸が躍りっぱなしだった。 「もっと飛ばせるけど?」 「飛ばさないで! これくらいがちょうどいい!」  秋夫は僕の予想に反して信号無視も無理な追い越しも蛇行運転もしなかった。広い肩幅と太い腕とジーンズの長い足を操ってスムーズに加速しコーナリングする。とりわけバンクコントロールは天才的だった。 「みかけによらず安全運転なんだね!」 「人はみかけじゃねえの」  よく言うよ、と返したけれど向かい風に掻き消された。  土地勘がないと言っていたわりに、秋夫は僕が教えた道順をスムーズに走った。といっても、一方通行や進入禁止の標識を無視した僕のナビは不評だったんだけど、免許を持たない僕にとってはしょうがない事情だと思う。  順々に配達と回収をこなし、秋夫が最後の住所を口にした。その住所はこれまでの人生で僕が足を踏み入れたことのない町のはずれだった。目的地周辺からは街区表示板を頼りに進んだ。 「この近くにもレンタルショップありそうだけどね。近くで借りればいいのにね」  秋夫は公園の側道にバイクを止め配達リストを広げている。僕も横から覗いた。 「なんか訳アリなんだろ。知ったこっちゃねぇけど」  確かに、世の中にはいろんな事情を抱えたいろんな人がいて、だからへんてこな商売が成り立つんだろうと思っている。伯父さんの娘――、(僕のいとこの芙美(ふみ)のことだけど)大学生の彼女も、アルバイトで『孫』をしている。契約者は老人ホームで暮らす老婆だ。月に三回、二時間、孫のふりだけで一般的な社会人一年目並みのバイト代が入るという。最初は面会者のいない裕福な老人が周囲に同情されるのを嫌って始めた嘘のようだったが、いまでは扶美の訪問が老人の慰めになっているらしい。 「俺はここから歩いて探すから、洵はバイクみてて」 「わかった」  秋夫はバイクから離れ大股で歩いて行った。振り返らずに進んでいく秋夫を見送ってから、僕も周囲に視線を移した。失礼だけど公園以外に目印になるような建物が見当たらない。配達の仕事って大変だなと僕はいっぱしの労働者になったような気分になっていて、そのことに遅れて気づき恥ずかしくなった。羞恥心を誤魔化すために目の前の公園に意識を向けた。周りを囲むケヤキの木がスロープに迫り出しところどころに薄暗い陰を作っている。遊歩道には薄紫色のアベリアと、少し離れたところにホトトギスの花が咲いていた。陽の当たる広場の奥にはテーブル付きのベンチ。近くには遊具がある。住宅街の一角にあるせいかとにかく静かだ。  僕は耳を澄ました。  子供の遊ぶ声も音も、大人の話し声もしない。周りは鳥や虫や風が立てる音だけだ。  バイクを気にしながらも僕は公園に足を踏み入れた。砂利の上を歩く僕の足音だけが響く。ざ、ざ、ざ、と擦れる。太陽に手をかざした。指の隙間から空を見上げた。いい風が吹いている。爽秋の心地良さに思わず口元がほころんだ。そのまま少し、風に吹かれた。  どのくらいそうしていただろうか――  時間にすれば一分もたっていないはずだと思う。  戻ろうと踵を返し、僕はそのまま固まった。  僕のすぐ後ろ、木製の古いベンチに女の子が座っていた。じっと、ただじっと僕を見ていた。
/92ページ

最初のコメントを投稿しよう!

55人が本棚に入れています
本棚に追加