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#05 僕のこと、君のこと
植え込みのせいでベンチがあることに気付かなかったが、よく見るとあずまやになっている。ケヤキがかしいでよけいに薄暗い。
僕は女の子に向かって小さく頭を下げた。
けれど反応はない。
僕をただ、身動ぎもせずにじっと見ている。
なんだろう……
なにか怒ってるんだろうか……
僕のこと、だろうか?
周りを見回した。公園には僕と彼女のふたりしかいなかった。
「……」
控えめに様子を窺いながら、気まずいままに来た道を戻った。
よく分からないけれどたぶん、僕が悪いんだろう。なにか気に障ったんだろう。
無反応な彼女に唇の中でもぞもぞと謝って、不恰好に顎を上下させて精一杯の意思表示をして――、重大なことに気がついた。彼女の目線が徐々に離れていく僕を追ってこないことに。リラックスした姿勢のまま、じっと虚空を見ていることに。
!
大急ぎで現状を把握した。
彼女の脇には盲人用の白杖があって、僕を見ていた(と思い込んでいた)視線は瞬きのあとも位置を変えない。そういうことか……!
いつのまにか、僕の足は止まっていた。
彼女の肩にかかった髪の先が風に揺れて、その頬も揺れた。
――風を受けているんだ。
さっきの僕みたいに。
僕は、突き動かされた。
勝手に足が動いた。
僕の気配に彼女はすぐに反応した。向かってくる足音に神経を集中させているようだった。耳を欹てて周囲の様子を窺っている。
「こんにちは」
控えめに声を掛けた。
「……こんにちは」
彼女が答えた。
鈴のような、細くて可愛い声だった。
「ひ、ひとりですか?」
「はい」
近づくにつれ緊張は強くなった。恥ずかしいことに意識しすぎてどもってしまった。店員以外の異性(それも女の子)に話しかけるなんて何年ぶりだろう。
「あ、あの、僕、友達の仕事につきあって、ここに来て、で、今日はすごく気持ちのいい、天気だな、って、思って」
吃音に気を取られたら今度は言葉がぶつ切りになってしまった。どっちにしても格好悪い。
僕はあきらめて、深呼吸した。
彼女はじっとしたままだ。
「おじゃま、ですか?」
一番初めに聞かなければいけないことを僕はようやく口にした。彼女がくすっと笑った。右の頬にえくぼができた。唇が開く。
「いいえ。じゃまじゃないです」
「ほんと、ですか」
僕は泣きそうだった。女の子に拒絶されないなんて、夢じゃないよね?
「よかったら、ここ、座りませんか」
彼女は腰をずらして十分すぎる僕のためのスペースを空けた。手探りで杖を引き寄せる。僕は慌てて手を貸した。
「ありがとう」
虚空に向かって彼女が言った。
そっと隣に座った。目が見えない子に会ったのは生まれて初めてだった。日本の総人口からすると障がいを持った人はどのくらいなんだろうか。世間をあまりに知らない自分が後ろめたかった。
「ここは気持ちがいいでしょう、いい匂いで」
「あ。うん。ほんとうに」
大急ぎで鼻から息を吸った。言われるまで、匂いなんて全然気にしていなかったから。
「そろそろキンモクセイが咲くかな」
「え?」
「いい香りだなって思ってるといつのまにか散ってる花」
僕は公園の円周をざっと見渡した。オレンジの色はどこにも見当たらない。
「一日でも早くキンモクセイを感じたいから、毎日来ちゃうの」
彼女はまた片えくぼで笑った。
「家は?」
「この近くよ」
「そうなんだ」
いいところだね、静かで、と言うと、彼女は頷いた。
風が頬を撫でた。柔らかい、秋の風だ。
「えっと、僕は島田洵っていいます。きみは? 言いたくなかったら、いいんだけど……」
初対面の女の子に名前を聞くときはこんな感じでいいんだっけ?
いろんなことが久しぶりすぎて不安になる。
「私は」
彼女の顔が僕の方向に傾いた。はにかみながら唇が開いた。
「瀬尾園子です」
「瀬尾さん」
名前をなぞった。でもただそれだけで喉から柔らかな熱が広がった。やがて内臓にも、僕を取り囲む空気にも伝染する。
「僕のことは、洵って呼んで、ください」
胸を押さえながらようやく言うと、瀬尾さんはにっこり笑った。
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