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「洵、くん。ステキな名前ですね」
「そうかなあ」
「うん、とっても呼びやすい」
「瀬尾さんも綺麗な名前、だよね」
照れながら褒めた。
本当は僕も、彼女のことを名前で呼びたいけれどうまく流れを作ることができなかった。
「洵くんはどんな人ですか? どこから来たの?」
もたもたしていると瀬尾さんが笑いかけてきた。興味津々、といった頬がとても可愛らしい。
「――え、っと」
瀬尾さんの表情から笑みが消えかけて慌てて口を開いた。
僕は瀬尾さんの目が見えないのをいいことに至近距離でじっとみつめていたらしい。しかも無言で。
大きく息を吸い込んだ。「僕はここからバイクで――」
「バイク!」
瀬尾さんが突然叫んだ。肩がきゅっとあがる。
「バイクに乗れるんですか! 素敵!」
「……いや、あ」
興奮する瀬尾さんに、「後ろに乗ってきただけ」と言える勇気はなかった。
「ごめんなさい、話止めてしまって。続けてください」
口ごもった僕が気を悪くしたとでも思ったのか、瀬尾さんの興奮がすっと下がった。僕は慌てて片手を振った。けどそうだ、見えてないんだ、と思い出す。気を取り直して自己紹介を続けた。
「二十四才、です。A型です。家族は単身赴任中の父と、専業主婦の母、それから大学生の弟との四人。趣味は映画鑑賞で、仕事は……」
言い淀み、慌てて繋げる。「今は無職なんだ。病気で働けなくて」
「どこか悪いの?」
「うん、体調に波があって、ちょっと」
瀬尾さんの表情が同情で曇った。僕は曖昧に濁す。「でも、そんなたいしたことはなくて……」
心の病気だなんて言ったら引かれるな、と計算している僕は浅ましいだろうか。
「せ、瀬尾さんは?」
反則気味に切り返した。
「瀬尾さんのことも知りたいな」
瀬尾さんが姿勢を正した。
「私は二十一才でO型です。趣味と呼べるものはなくて、でもお姉ちゃんは歌がとっても上手で歌手になるのが夢なの。だからお姉ちゃんを応援するのが趣味、かな」
続けて瀬尾さんは後ろを指した。
「すぐそこのアパートでお姉ちゃんとふたりで暮らしてるの。今はレッスンに通いながら歌う仕事もしていて、着々と夢に向かって進んでるの」
「自慢のお姉さんなんだね」
途中から瀬尾さんの自己紹介はお姉さんのことになっていた。
「そうよ。綺麗で優しいの。早くお姉ちゃんのデビューが決まればいいなあ」
瀬尾さんのわくわくした横顔を見ながら、僕は彼女のお姉さんを想像した。ふんわりとした女の子で、目尻はきりっと上がっていて、笑うとえくぼができて、鼻はちょっと小ぶりだけどすっきりしている、唇は―――
「……」
僕はハッとして視線を外した。性懲りもなくまた凝視していた。第一、お姉さんを予想するのにそのまま瀬尾さんをなぞってもあんまり意味がない。
「洵くん?」
瀬尾さんが唇を窄めている。どうしたの? と問い掛けられている。下唇の厚みがどことなく扇情的でどきりとした。唇にも表情ってあるんだな、と思う。だから逸らしてもすぐに吸い寄せられてしまう。
「ううん、なんでもない。ごめん! 瀬尾さんのお姉さんに会ってみたいなってちょっと思ったから」
「ほんとう?」
「きっと素敵な人なんだろうなって」
だってきみと同じDNAだよ、素敵じゃないわけがないよ。
瀬尾さんは、ありがとう、と噛みしめるように言った。
「あ、あの、僕とともだ――」
競りあがってきた情熱に押された。彼女と仲良くなりたいと願った。これから先、未来のはなしだ。けれど僕を探す秋夫の声がそれを遮った。
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