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「洵! なにやってんだよ、バイク見てろって言ったろ」
怒鳴りながら秋夫が公園内に入ってきた。
大股で歩いてくる。
「ご、ごめん」
僕は反射的に立ち上がった。秋夫は厳つい顔で近づいてきた。言葉の響きほど怒ってはいないみたいだけど見分けるのは難しい。
秋夫はずんずんと歩いてきて僕たちの前で止まった。瀬尾さんが自分の前に出来た影に笑顔を向けた。秋夫は黙ったままだ。瀬尾さんの笑顔が少しずつ小さくなっていく。
僕は使命感に突き動かされた。
「瀬尾さん、あのね、こいつ、僕の友達で鈴木秋夫」
まずは見えない瀬尾さんに状況を伝える。さっき話した「友達」だと言うと、瀬尾さんは親しみを込めて会釈した。次は秋夫に向かって言った。
「秋夫、この人は瀬尾園子さん」
秋夫は瀬尾さんを見下ろしている。おもむろに口が開く。
「目、どうした?」
「ちょ、秋夫っ」
僕は驚いて秋夫の腕を引いた。なんで初対面でそんなこと……!
「見えてねぇみたいだけど」
「秋夫!」
僕は初めて秋夫を怒鳴った。だってこんな露骨な聞き方ってないよ。
「いいの。洵くん、だいじょうぶよ」
瀬尾さんが手探りで伸ばした指が僕の服の裾を引っ張った。
「喧嘩はしないで。私は平気だから」
「でも」
「本当よ」
瀬尾さんが苦しそうに眉間を寄せた。その表情から言い争いが嫌いなのだと気づく。僕は唇を噛んで秋夫を睨みつけた。秋夫は当たり前のように見返してきたけれど、正義をまとった僕に恐怖心はなかった。
「はじめまして」
不穏な空気を散らすように瀬尾さんがにこり、とした。僕は秋夫の腕を押して彼女の問い掛ける位置にその体を押した。
「えっと、鈴木くん?」
「秋夫でいいよ」
僕は横からすかさず言った。秋夫はどうせ、自分の呼ばれ方なんてどうだっていいヤツだ。
「じゃあ“秋夫くん”ね」
「……」
返事をしない秋夫に苛立つ。瀬尾さんの目が見えていたら、この仏頂面の前に萎縮していたに違いない。出会った日の僕のように。
瀬尾さんは語り始めた。暴力的にぶつけられた疑問に答えるために。
「見ての通り、私は目が見えません。事故で失明したの。初めはすごく心細くて、怖かったけど、今は全然! なんにも不都合はないし。強がりじゃないよ。ほんとうに、見えないことがハンデに思えないの」
「秋夫、聞いてるのか? おまえに言ってるんだぞ」
声を抑えて言った。秋夫はまだ仏頂面を崩さない。
「事故ってなんだよ」
しかも直球。僕は額を押さえた。なんでこいつはこうなんだ。
「えっと……、火事に遭って」
瀬尾さんが初めて口ごもった。肩が小刻みに震えている。
「もういいだろ、秋夫」
割って入った。人には思い出すのが辛いことだってある。
「は。なにがいいんだよ?」
「ごめんね、瀬尾さん。僕たちもう帰るよ。ほんとうに、ごめんね。……ごめん」
秋夫を無視して瀬尾さんに声を掛けた。瀬尾さんは虚空に向かって左右に首を振った。健気にも笑顔を作っている。
「ほらっ、秋夫、行こうっ」
後ろ髪を引かれながらも、秋夫から彼女を守るためにこの場を去ることを決めた。
「秋夫! 早く!」
僕は叫んだ。ずんずん進む僕の後ろから秋夫はゆっくり歩いてくる。
「おまえがなんでイラついてんだ?」
おもしろくない様子の秋夫に僕の我慢は限界を超えた。
「なにって、分かんないの? 彼女に失礼だろってはなし!」
公園の外に出るのを待って噛み付くように言った。
「そうやってなんでも思ったことを口にしたら傷つく人がっているんだよ!」
「疑問に思ったから聞いた。それが?」
「もういいよ! とにかく行こう」
僕はヘルメットを被った。どこまで議論しても平行線だと悟った。所詮、秋夫とは『性質』が違うのだ。心療内科の存在も知らないヤツに惻隠の情ってやつを期待するのが間違いなんだ。
「帰ろう」
憤怒を抑えて言った。観察するみたいに僕を眺めていた秋夫が、やおら肩をすくめた。僕がまるで我侭な子供だとでもいいた気に。
その日の夜、
僕たちは秋夫が借りてきたDVDを黙って見て、コンビニの弁当を黙って食べて、交替で風呂に入って、黙ったまま寝た。
僕はわざと必要最小限の短い言葉だけを使った。風呂、とか、電気消す、とか。それ以外は指先や顎を使って言葉の代わりにした。秋夫と出会って、まるで六年間の孤独を取り戻すみたいに喋り通しだった僕の、これはささやかな意思表示だった。
いくらなんでも秋夫にはデリカリーがなさすぎる。そのことを反省してほしかった。悔い改めるまでは口をきかない。絶対に。
――そう思っていたけれど、僕は早々と義憤を解除した。
なぜって、
次の日、僕はバスに乗って彼女に会いに公園に行ったから。
そして彼女と『友達』になったから。
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