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彼女はいつも、出会った日と同じに古い木製のベンチに座っている。僕の足音を聞き分けて、声を掛けるよりも先に笑顔を見せてくれる。その笑顔は、大袈裟じゃなく僕を勇気づけてくれた。彼女の日常に僕が加わったことで、僕に生きる意味ができたような、神様に許されている気持ちになった。ただ残念なのは、あくまで僕は『秋夫の仕事の付き添い』ということになっているから、「時間大丈夫?」という彼女の気遣いと共にやせ我慢で立ち上がらなければならなかった。
思い切って打ち明けようかと何度か思った。けれど自制心が働く。だって、出会ったばかりの男が毎日バスに乗って会いにやってくるなんて、普通なら不気味だしキモチワルイ。
嫌われるくらいなら、僕はこのまま、瀬尾さんの『暇つぶし』の話し相手でいいから。
「洵くん、また映画の話をして」
「うん。分かった」
自分の趣味が瀬尾さんにとって残酷なものだと気づいたのは、ひとりになってからだった。瀬尾さんの笑顔に胸の奥が苦しくなり、こんな気持ちになるのは何年ぶりだろうな、と幸せな感情を味わって――、重大なミスに気がついた。僕の趣味は見えることが前提のそれだ。彼女を傷つけてしまったかもしれない。いや、しれない、じゃなくて、絶対に傷つけた。挽回したかった。
二日目、二度と映画の話題は出さないと決めて会いに行った。でも『映画』と口にしたのは瀬尾さんだった。
「……」
僕は一瞬どころか数秒黙ってしまった。
瀬尾さんは不思議そうな頬を僕に向けた。
「昨日、趣味だって言ってなかった?」
「えっと、そうなんだけど」
僕は戸惑いながらも肯定した。
「私も映画が大好きよ。ねえ、教えてほしいことがたくさんあるの。いい?」
「……もちろん、いいよ」
屈託のない興味を示す瀬尾さんに引っ張られるように、僕は質問に次々と答えた。
瀬尾さんは僕が最近観た映画のストーリーや感想を聞きたがった。前評判はどうだったのか、どうしてそれを観たいと思ったのか、俳優陣は? 音楽は? ☆5で表したら☆いくつ?
僕は精一杯、噛み砕いたり割愛したりしながらストーリーや感想を丁寧に語った。時々、秋夫とのそれと内容がかぶったりして、秋夫の言葉が混じったりして、あれ? とこんがらがったりしつつも、瀬尾さんの笑顔のために臨場感を意識して話した。僕が語る映画の世界に瀬尾さんが没頭しているのを見るのは、何とも言えない幸福感だった。
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