#06 ふたりの時間

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「この前、テレビで『レオン』って映画やってたの、観た?」  ジャン・レノが出演していた『ピンクパンサー』の内容を話し終えた後、瀬尾さんが聞いてきた。僕は、ううん、と首を振った。切ない映画だと知っていたからあえて見ないようにしていた。ヒネリがないとか、“お約束だな”とか言われても、僕はコメディ調のハッピーエンドが好きなのだ。息継ぎもできないくらい涙が流れたり、死んでしまった登場人物にいつまでも肩入れしたり、理不尽さに感情をかき乱されると心が苦しくなって、日常生活に影響する。だから極力見ないように気を付けていた。 「瀬尾さん、は……?」  観たの? と聞くのは違うだろうと、僕はまた濁して聞いた。彼女は気にしてないみたいだ。頷いてから身を乗り出した。 「字幕を追うのと吹き替えで聞くのとは違うんだろうけど、だけど台詞と空白の間で、あ、今ここで『みつめあってるんだな』とか、『気持ちが通じ合った瞬間だな』とか、案外覚えてるものなの。自分では観たことも忘れてたのに、劇中に流れる音楽が意識を覚醒させてくれるのね。こうやってひとつずつ思い出していくのかもしれない」 「えっと、思い出すって?」  足元に言葉を落とすみたいに呟いた瀬尾さんに、失礼かなと頭の隅で詫びつつも聞かずにはいられなかった。僕はもう、瀬尾さんのことならどんな些細なことでも知りたくてたまらなくなっていた。  瀬尾さんは小さく頷いて話してくれた。 「私ね、火事に遭ったとき目と一緒に記憶も失くしたみたいなの。病院の先生が言うには、両親が死んでいくのを見たせいで、それを思い出すなと心がロックを掛けたんだろうって」 「っ!」  絶句した。そんな壮絶な体験をした女の子には見えなくて。 「家は全部焼けちゃって、でも私だけ助かったの。従兄の恭二(きょうじ)くんが炎の中飛び込んでくれて、まだ生きていたお母さんが、私を連れて逃げるようにって必死に叫んだんだって。それでね私、火事の前の一年間のことも忘れちゃったの」 「っていうと高三の記憶?」 「そう」 「つらいね」  瀬尾さんは、ううん、と首を振った。 「なにも覚えてないからそういう感覚もないの」 「……」  どう励ませばいいのか必死に考えている間に、瀬尾さんは映画の話に戻っていた。 「ジャン・レノが演じるレオンは殺し屋でね、隣に住む家族が惨殺されて、十二才の少女マチルダだけが残されるの。そのシーンの前にふたりの交流があるんだけど、マチルダも決して幸せな少女じゃないのよね。ふたりは互いに孤独なの。復讐のために自分も殺し屋にしてほしいと頼むマチルダにレオンは殺しのハウツーを仕込んでいくの。奇妙な同居を通して愛が芽生える。純愛よ。レオンはマチルダを守って死―――、あ、洵くん、まだ観てないんだよね? じゃあラストは言わないね」  瀬尾さんは小さく舌を出した。 「エンディングでスティングのバラードが流れたとき、誰とこの映画を観ていたかを思い出せたの」 「誰と観たの?」 「うん。そのときの、彼」  てへへ、と笑った瀬尾さんが幼い顔になって、僕は当時の恋人に嫉妬した。 「横にね、彼がいて並んで画面を見てた。どこかの家。ふたりきりだった。私も彼もじっと映画を観てた。窓の外は夕暮れで、そのうちだんだん部屋のほうが暗くなっていって、手を、繋いでた。私は彼を“コウちゃん”って呼んでた」 「思い出せたのはそれだけ?」  切ない気持ちで聞いた。 「そう」 「そっか」 「でも映画が好きで優しい人だった、はず」 「へえ」 「私、そういう人が好きなのねきっと」 「……」  なら僕でもイケるんじゃないかと思った。人の好みなんてそうは変わらない。僕にも可能性はある、はず。 「――なにやってんの、おまえ」 「!」  聞き馴染んだ低くて太い声に驚いて、僕は腰を浮かした。近づいてきた足音に気付かないほど、僕は瀬尾さんに集中していたらしい。
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