名前のない物語

#07 嘘の嘘は、嘘

　バイクの前でパトカーをやり過ごしていると、秋夫が瀬尾さんの手を引いてきた。
「な、なに？　どうしたの？」
　白杖で段差と障害物を確認しながら瀬尾さんが僕の前にやってきた。秋夫が手を離したタイミングで足を止める。
「園子がバイクに乗ってみたいんだってよ」
　秋夫は事も無げに言った。
「え、で、でも、GPSと従兄の恭二くん……」
「さっき一応、一方的にだけど断っておいた。つーか、公園の周りをニ、三周するだけだし」
「……」
「それとも洵、おまえが園子を乗せて走るか？」
「っ！」
　瀬尾さんについた僕の嘘（バイクに乗って来てるってこと）を知ったのだろう。秋夫はいよいよ薄気味悪い笑みを顔全体に乗せている。
「い、いいよ、秋夫が乗せて、あげなよ、今日は……」
　悔しいし情けない。けれど僕は精一杯余裕ぶって言った。

「園子、まず俺につかまれ」
　秋夫は瀬尾さんの両手を自分の肩に乗せて腰をもちあげた。瀬尾さんはすっかり身を委ねている。
「俺が車体を傾けても足はステップから外すなよ、土踏まずで踏ん張ってろ」
「うん、わかった」
　短いやり取りだけでバイクはあっという間に走り出した。スピードは出ていない。バイクは僕の視界で近くなったり遠くなったりを繰り返す。楽しそうな笑い声を立てて、瀬尾さんは秋夫の腰にしがみついている。

　僕にはどうしても理解できない。
　なぜ二輪が倒れずに進むんだろう。そもそもハンドルを切ってないのになんで曲がれるんだろう。
　あるとき、僕の疑問に秋夫は簡潔な答えをくれた。後輪を傾けてんだよ。ステアリングヘッドがそれに反応すんだって。
　僕の頭はますます混乱する。両輪で走ってるのにへんだろ、それ。秋夫は他所のことをしながら適当な口調のまま、いやいや後輪駆動だから、と言った。あのとき秋夫は切れたチェーンの修理をしていた。筋張った長い指で財布から外れたそれをペンチを使って繋げることに忙しい。僕は質問をあきらめた。とにかく、と結論付ける。――あんな金属の塊が猛スピードで走るだけでも信じられないんだ。それを運転しようだなんて、やっぱり僕には理解できないね。
　なのに僕は今、瀬尾さんを乗せてマシンを操る秋夫がたまらずに羨ましかった。

　バイクは公園を四周して停まった。秋夫の手を借りて地面に足を着けた瀬尾さんは名残惜しそうに唇を窄めていた。