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「秋夫くんありがとう。とっても楽しかった」
映画のストーリーを語った僕に見せるときと同じに、瀬尾さんは弾んだ頬と声を秋夫に向けた。秋夫は瀬尾さんの極上な笑顔の価値も知らずに、そりゃよかったな、と素っ気無く答えている。それだけでも許せない気持ちになる僕は、なら秋夫がへらへらしたら満足するのかと聞かれたら断固、NOと答えるんだろう。
本当に僕は面倒臭い人間だ。恋が楽しいだけなら良かったのに、と思う。矛盾だらけの感情まで連れてくることはないのに、と。
「洵くん? そこにいる?」
「いるよ、ここに。あ、はい、これ」
預かっていた白杖を右手に握らせる。
「バイクって気持ちいいよね!」
バイクから降りてもなお、瀬尾さんの興奮は続いている。
「そ、そうだね。風を切って走るのって最高だよね」
つい合わせた。キーを弄びながら秋夫が僕たちに向き直った。
「園子、今度は洵に乗せてもらえよ」
「……っ!」
秋夫はまたにやにやと僕を眺めた。僕が焦ったり困ったりする様子を見るのが好きなんて、なんて性格だ。
目の前で瀬尾さんが無邪気に手を叩いた。
「わあ。楽しみ」
「……」
秋夫は口をぱかっと大きく開けて、あーあーあー、と愉しそうに笑う。意地悪な秋夫と、さっきまでの“おいてけぼり”の惨めさも手伝ってか、僕の身体の内側から虚栄心がむくむくと競り上がり秋夫がわざとらしくぷぷっと吹き出した瞬間、噴火した。
「瀬尾さん、車! 車ならもっと危険じゃないしもっと遠くまで行けるし好きな音楽を好きなだけ聴きながら進めるし、お喋りもたくさんできるよ。これから冬だもん、ぜったいバイクより車だよ、僕はそう! 車の免許を持ってるんだ!」
浮かされたように言ってから、秋夫の意味深な口笛で我に返った。
性懲りもなく、僕はまた嘘をついてしまった。
でももう後には引けなかった。
瀬尾さんが、車もいいよね、と同調してくれた後は調子に乗って知識として知っているだけのことをさも自慢気に披露し、無言でにやにやしている秋夫を牽制するためだけに、
「バイクなんて雪が降ったら乗れないよ。車なら寒くても暑くても快適に移動できるんだから。そうだよ! そうしよう!」
と捲くし立て、勝手に『冬のドライブ』を約束した。
「どこまでも遠くに行けるなんて素敵だね」
「僕がとっておきの冬のスポットへ連れていくよ」
「楽しみにしてるね」
「まかせて!」
頭の中で素早く計算する。――たしか自動車教習所には『合宿』というやつがあったはずだ。最短で二週間程度で免許が取れるんじゃなかったか?
「洵、そんな約束していいのかよ。園子がその気になっちまうぞ」
どこまで本気で心配しているのか怪しい秋夫が、またにやにやしながら言う。僕はぐんと顔をあげた。
「本気にしていいに決まってるよっ!」
……そう。絶対僕は車の免許を取って瀬尾さんを助手席に乗せるんだ。秋夫が出来ないことを僕が、絶対に!
「だとよ、園子。まあ気長に待ってろよ」
僕の決意を認めたのか、秋夫は瀬尾さんに向かって言った。瀬尾さんがにこり、と空に笑いかけた。僕は慌てて瀬尾さんの真正面に立ち直す。この笑顔は僕を動かすには十分過ぎる。
そうして次の日、僕は教習所へ行った。
【第一章終わり】
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