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秋夫はいつものふてぶてしい態度のまま、表情を変えずに言った。「来る、来ない、そんなことは園子が決めればいい」
――!
そうだ、そうだよね。
僕も控えめに頷いてみた。僕も秋夫の意見が正しいと思う。でもお姉さんは、まるで分かってないと言いた気に片頬を歪めた。
「毎日同じ時間に来ておいてよく言うわ。園子に圧力を掛けているってこと気づけない?」
再び睨みつけられた。
「圧力、そんな、僕は……」
「かけてるわよ。じゃなきゃ今、あの子はあそにいるはずがないの」
お姉さんは瀬尾さんのいるベンチを振り返った。
「少し熱があるのよ。だから今日は外に出ないと約束したの。様子を見に職場から抜けてきたらあれよ、結局“ここ”へ来てる」
少し強い風が吹いて、瀬尾さんが身震いしたのが見えた。
「つーかよ」
秋夫が緊張のない声で言った。
「それが園子の望むことなんだろ。熱があっても洵に会いたい。だから来たんだろ」
「!」
僕はどきりとした。
秋夫に言葉にされるまで考えたこともなかったけれど、事実、瀬尾さんは僕の嘘を信じて、毎日僕に付き合ってくれている。そうだ。瀬尾さんが嫌だったら公園には来ないんじゃないだろうか。こうして来てくれるということは、瀬尾さんも僕に会いたいということで――。
「だから?」
抗えず綻んだ頬は、お姉さんの冷えた声の前に再び緊張した。
「あんた、自分が園子につりあうとでも思ってるの?」
!
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「パッとしないし、うじうじしてるし、背だって高くない。第一痩せてる。とても園子を守れるとは思えない。しかも無職って。二十四才にもなってなにやってんの? 映画観るだけで毎日が過ぎてるって? ばかじゃないの」
!
ばかじゃないの。
ばかじゃないの。
言葉の衝撃は一秒毎に僕の心の奥深くに潜り込んでいった。
秋夫と出会い、瀬尾さんを好きになり、僕の毎日は劇的に変化した。誰とも言葉を交わさない日が当たり前だったことさえ遠い記憶のむこうに押しやって、いつのまにかずっと前から僕は“普通”だったと勘違いし始めていたのかもしれなかった。
僕は今もなにも持っていなかった。それだけじゃない。大学受験に失敗した十八才の頃と人に与える印象は同じだった。そのことが僕に同情をする必要のない他人から突き付けられた。
「園子ね、もうすぐ手術するのよ。そしたら元のように目が見えるようになるの。私はあんたのために言ってるんだよ、島田洵。目が見える園子の前に、あんたは立てる? 胸を張って立てる?」
!
ずんっ、という振動音と共に僕の現実が揺れた。考えてもみなかった。もうすぐ“この僕”が瀬尾さんの目に映るなんて――
「……」
何も、言えなくなった。
彼女の目が見えるようになったら僕は……
僕はどうするだろう。
僕たちはどうなるんだろう。
「――どうにもなんねぇよ」
秋夫は首をぐりぐりと回しながら面倒くさそうに言った。僕はもしかしたら縋るように秋夫を見ているのかもしれない。
「あんたの妹は、外見で他人を判断するような女じゃない。あんたと違ってな」
僕の呼吸が苦しくなるほどに、秋夫とお姉さんは睨みあった。
「洵、園子が待ってる。早く行けよ」
秋夫のてのひらが僕の肩を突いた。
「う、うん」
お姉さんを気にしながらも、僕は足を前へ踏みだした。
誰もいない公園の、いつもの場所に瀬尾さんはいる。寒そうに、ちょっと肩を縮めて僕を待っている。
僕は吸い寄せられるように瀬尾さんに向かって走った。
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