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#09 だけど僕は
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「洵くん、こんにちは」
僕の足音に瀬尾さんが笑顔をくれる。昨日より、一昨日より確実に低くなっていく気温が瀬尾さんの白い肌に赤みを作っている。
「こんにちは瀬尾さん。寒くなってきたね」
僕の言葉に瀬尾さんは、そうだね、と微笑んだ。髪や爪が伸びることがあたりまえのように、寒さも等しく受け入れる。そんな表情だった。
「体調が悪いときは無理して来なくてもいいからね」
瀬尾さんの横に腰を落としてから言った。姑息にも、今の言葉は白杖に発信機を仕込んだ恭二くんへ向けたものだ。本音は、違う。
「そういえば、お姉ちゃんに偶然会ったって本当?」
「え」
「三日前なんでしょう? 私ね今朝聞いたのよ。会ったこと忘れてたって。ひどいでしょう」
「はは、は……」
「洵くんも、言ってくれないんだもの」
「ご、ごめん」
小さく謝った。瀬尾さんは拗ねるみたいに頬を膨らませてから首を横に振った。
「でも少しほっとしたの。私が洵くんのこと男の人だって言わなかったから、心配させちゃってたみたいで」
「そうなんだ」
すべて知っていて初めて聞く話題のように振舞った。
お姉さんに厳しい言葉を投げつけられた日、僕はそれをうまく処理できなかった。秋夫はもっと単純に「どーでもいい」と思っているようで、瀬尾さんの前でも話題にすらしなかったから、うしろめたさはあっても僕は流れに身を任せてしまった。
「僕のこと、なにか、言ってた?」
聞いてから瀬尾さんの表情を追った。困惑が浮かんだらすぐに話題を逸らそう、そう思いながら。でも瀬尾さんは花が咲くみたいに笑った。
「優しそうな人って言ってたよ。顔もすごくかっこいいって。芸能人で言ったら、玉羽…、玉羽なんていったかなあ、えーと、なんとなく顔は覚えてるんだけど……。ブレイクしたのは私の目が見えなくなってからだから、いまいちうろ覚えなんだよね」
「……」
玉羽という珍しい名前、三年以上前にブレイクした芸能人。そのふたつで思い当たるのはひとりだ。モデルあがりで歌も演技も定評のあるイケメン! 冗談じゃない。僕なんか足元にも及ばない。
「でも洵くんのことイメージ出来てちょっと嬉しいかなって」
瀬尾さんはえへへ、と笑って指先で頭を掻いた。
「いや、ちょっと待って。ぜっんぜん似てないし」
心底焦った。そして、気づいた。
お姉さんはわざと嘘を言ったのだと。
手術が成功して瀬尾さんの目に僕が映った瞬間、イメージと現実とのギャップにがっかりする、それを狙ったのだ。そうとしか考えられなかった。
「線の細い人だよね、確か。私の中の洵くんとも合ってるから嬉しいな」
「あのね、僕は本当に彼には似てないから」
「いいの、いいの。お姉ちゃんの印象なんだから」
「そうじゃなくって……」
僕は歯軋りする。これじゃ余計に、僕は瀬尾さんの目が見えることを喜べなくなる……。
「あ。そうだ、洵くんに伝えておかなきゃいけないことがあるんだ。忘れないうちに言っておくね」
「なに?」
「来週から私、入院なんだって」
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