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「園子が、言ったの? 本当は、見えてないって」
僕は焦った。
「そういうわけでは」
「じゃあ、気づいたっていうの?」
信じられない、という表情で美佳さんはテーブルに手をついて前のめりになった。
「え、っと」
気づいたのは僕じゃなく、秋夫だ。でも仏頂面で不愛想にしている秋夫には話題を向けない方が安全だ……。
「あの、瀬尾さんはどうして、」
秋夫には構わず話を進めた。なによりも僕が気になって仕方がないから。
「どうして見えてないのに、見えるなんて」
美佳さんは細い首筋に手を当てて息を吐いた。
「私にも分からないわよ。ただ、先生がいうには、手術は成功してる、見えるはずだって。それでも見えないのであれば心因的な問題以外にはないって」
「心因的……」
「明日から別棟にある心療内科で診てもらうことになってる」
心療内科、
瀬尾さんが……。
「見たくないものがあるから、見ないってことだろ」
横から秋夫が口を挟んだ。
「見たくないものって?」
僕は反射的に聞き返した。
午後の面会時間は賑やかだ。おもいつめた表情で固まっている僕たちの横では、女の人たちが昨日のテレビドラマの話をしている。自動販売機の前でなにを飲もうか迷っている人や、備え付けの洗面台でしきりに手を洗っている子供、ゆったりとした動作で歩く人たち。僕たちが直面した現実に比べると誰もが平和に思える。もちろん、気のせいだろうけれど。
「火事に巻き込まれて目が見えなくなったんだよな。記憶も失くしてんだろ? それと関係があるんじゃねえのか」
秋夫にしては珍しく、気に入らない相手とまともな会話を続けている。美佳さんが少し黙る。僕は秋夫とともにその暗い俯き顔を見守った。
「――――事故じゃないのよ」
観念したように美佳さんが言葉を落とした。なにかを共有するような空気がそのとき確かに流れた。――と思った直後、衝撃がやってきた。
「放火なのよ。家は放火されたの。そのとき父と母は殺された」
「!」
「園子もそこにいたの。でも、なにも覚えてない」
「“そして目も見えなくなった”」
秋夫が口にしたそれに、美佳さんは両手で顔を覆った。細い肩が震えている。
「け、警察はなんて?」
僕はたまらずに聞いた。
「警察?」
美佳さんは吐き捨てる。
「あてになんかならない。あの放火を、警察は母が父を刺し殺した末の無理心中だと結論付けた」
「そんな……」
「信じられるわけない! 明るい母が優しい父を殺す? ありえない。そんなこと絶対にない。状況証拠? 法医学? そんなもので何が分かるの。家の中はいつも笑い声で溢れてた、幸せだったのよ」
奥歯を噛みしめて、美佳さんは唸るように言った。
「無理心中なんかじゃない。あれは放火殺人よ」
「そう思う根拠があんのか?」
腕組みのまま秋夫が聞いた。
「あるわ」
美佳さんの瞳の奥は薄暗く光っていた。
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