#02 狙った獲物は

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#02 狙った獲物は

 秋夫は部屋の中を見回している。本棚、クローゼット、テレビ台、オーディオ、出窓、シェルフ、机。 「ふーん、おまえの名前は島田洵(しまだじゅん)」  秋夫の手が机の上にあるカードに伸びた。病院の診察券だった。首を捻りながら病院名を読み上げる。 「心療内科、――なんだそれ」 「……」  この世の中に心療内科を知らない人間がいることに驚いた。でも、こうやって他人を脅して従わせるメンタルを持っているんだから、この男には無縁だということは分かる。 「心の治療をする病院の診察券だよ」  僕は仕方なく教えた。 「洵のか?」  勝手に呼び捨てにする秋夫に文句も言えず、素直に頷いて答える。 「僕の。僕、病気だから。言っとくけど――」  急に閃いた。  そうだ。誰だって異種は怖い。僕にとっての秋夫がそうであるように、秋夫だってきっと、心の病気に罹っている人間は未知のはずだ。 「病んでるの、僕の心」  どうだ! と言わんばかりに顎を上げた。  けれど僕たちは、残念ながら対等にはならなかった。僕の精一杯の自己主張はあっさり無視された。 「腹減った。なんかねぇの? 食いもん」 「!」 「あ。それから俺はこの辺でいいわ、寝るの」 「!!」  指が水槽の真横を差している。  他人の家に勝手にあがりこんで(連れてきてしまったのは僕だけれど)、食料を要求し(まあ、客には茶のひとつくらい出すもんだけど)、あまつさえ居座るつもりだなんて(断れないのも僕だけど)どうかしてる。 「一応さ、家族に、相談しないと、ね」  僕は反撃(と呼べるかどうか分からないぐらいの抵抗)に出た。このまま得体の知れない危険人物を部屋に泊めるなんて冗談じゃない。 「そ、それまで返事はで、できないよ」  目を逸らし、どもりながら言った。  こんなときに限って僕は家にひとりきりだ。悟られないよう用心して言葉を繋げた。 「うちの家族って、あんまり他人を受け入れないんだよね、ちょと気難しくて、だから」  とっくに診察券から興味を無くした秋夫は、僕が借りてきたレンタルショップの袋を勝手に開けている。 「これまでも、友達を家に泊めたことがないんだ」  秋夫は聞いているのかいないのか、パッケージをひっくり返して解説を読んでいる。  口をぱくぱくさせながら、続けた。 「実は、僕の父さんは短気で、すぐ手が出る」  父さんに殴られたことは一度もない。そもそも僕は殴られるような問題行動を起こしたことがない。 「母さんは機関銃のように怒鳴るし、弟もキレやすくてさ」  穏やかな母さんと、僕にそっくりな小心者の弟に心の中で手を合わせた。申し訳ないが、今この状況では“ヒドいヤツら”になってもらうしかない。  秋夫は黙ったままだ。  案外、ここから出て行くことを考え始めているのかもしれない。僕はよし、と心の中で勢いをつけた。 「それに僕は無職の引きこもりだし」  そうでなければこんな昼日中からレンタルショップでふらふらしてるわけがない。 「余分なお金も持ってないから」  たかられても、他人に分け与えられる金品は出てこない。 「そもそも人が、苦手なんだ」  年々、人と関わる機会が減っていた。比例して他人と言葉を交わすことが煩わしいとさえ思うようになった。 「誰かの面倒をみている余裕とかちょっと」 「―――へえ」  遠まわしな言い訳に太い声が割って入ってきた。秋夫の目は獰猛な肉食獣なみにぎらんと光っている。訝しんだ僕に、秋夫はにやりとした。 「洵は引きこもりなのか」 「!」  慌てて口元を手の甲で押さえた。方法を間違えたと遅れて気がついた。 「じゃあ部屋に誰がいようとバレねぇよな、おまえが口にしなきゃ」 「……」  僕は左右に首を振った。否定か肯定か、拒否か許容かどっちがどっちか自分でも分からない。 「簡単だろう。引きこもってりゃいいだけだ」  秋夫はすごみのきいた低音で言い放った。 「へたな動きしたらぶっ殺すからな」 「!」  秋夫は笑っていた。唇を歪めて。 「俺の仲間には残酷なことが三度の飯より好きなヤツが大勢いる。俺がひと声かければすぐに集まる。洵の家族は父親、母親、弟だったな?」 「……」  いったいこれはなんの罰なんだろうか? 「分かったら家族が帰ってくる前にさっさと食うもんと布団を持って来いよ、引きこもり」  秋夫は闇に潜む野犬のような目を僕に向けた。
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