#15 すぐそばにいる人

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#15 すぐそばにいる人

 秋夫の予感は、当たった。  僕はいつもの公園の、でも瀬尾さんとお喋りをするベンチではなく、瀬尾さん姉妹が住むアパートが見渡せる場所に腰を下ろした。使うかどうかわからないけれど双眼鏡も持ってきた。寒さ対策も万全だ。僕は鞄を胸に抱え、美佳さんが行動を開始するのを待った。じっとしていることには慣れている。  瀬尾さんが住む部屋がどんな部屋なのか、僕は知らない。  会話の途中、部屋に来る? と誘われる場面は何度かあった。けれど僕はそのたびに遠慮してやせ我慢を続けた。会話は高感度マイクで拾われている。瀬尾さんの従兄である恭二くんに嫌われたら“終わりだ”と思っていたし、僕はいつのまにか、会ったことも話したこともない恭二くんに親しみを持っていた。瀬尾さんとの交流を見て見ぬ振りをしてくれていることで、味方につけたような、妙な仲間意識が芽生えていた。だから部屋を出た美佳さんが一階の角にある恭二くんの部屋へ向かったときも、なんの疑いも持たなかった。ふたりが向き合う姿を遠目に見ても同じだ。  なにかがおかしい、と思ったのは五分以上経ってからだ。意識を変えて双眼鏡を構えた僕は、美佳さんが恭二くんから距離を取って表情を強張らせていることを確認した。美佳さんが恭二くんのどこかを指している。恭二くんが自分の手首をちら、と持ち上げた。  !  僕の心臓が、ばくん、と飛び跳ねた。  勝手に足が前へと出た。ふたりに気づかれないよう、気が急いたけれどなるべく遠回りで障害物で身を隠しながらアパートの横の壁に到着した。ふたりの声はすぐ近くに聞こえた。ほんのわずかでも動いたらこっちの存在にも気づかれてしまうくらい僕は接近していた。息を整えその場でじっと耳を凝らす。 「―――― ……ことだったのね」  美佳さんの声だ。僕の知っている、初対面のときに向けられた侮蔑的な響きでも、受け入れられてからの自然体の声色でもない、緊張した声が続いている。 「私も、どうかしてた。お父さんもお母さんも死んで唯一すべてを見ているはずの園子はあんな状態で、私は第一発見者の恭二くんの説明を鵜呑みにするしかなかった。ほんとうは一番信じちゃいけない人だったのに」 「美佳」  初めて恭二くんの声を聞いた。僕はこれ以上ないというくらいの集中力で、恭二くんの声を拾った。 「おまえ、おかしいよ。疲れてんじゃないか?」 「近づかないでっ」  恭二くんが美佳さんに向かって手を伸ばしたらしい、その手を振り払う音がした。恭二くんが漏らした溜息が聞こえる。 「恭二くんがここのアパートを世話してくれたことも、園子の杖にマイクを仕込んだことも、園子がなにかを思い出したら困るから、それを見張るためだったんだね。役者で食べていくって夢を捨てて脚本家に転身したのは私たちを助けるためでしょう。家で出来る仕事を選んでくれた……申し訳ないって思ったけど、正直、ありがたかったし、感謝したんだよっ。恭二くんがいなければ私は安心して働くことができなかったから」  美佳さんは泣いているようだ。声が掠れている。 「一番、信用してたのに、それなのに」  くぐもった声。だが次の声は一際強く放たれた。 「あなたが犯人だった!」  続けて美佳さんは言った。 「自首してくれるよね」  周囲から物音が消えた。――消えた、と思うほどの張りつめた空気が僕を、僕たちを覆っていた。
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