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病院で美佳さんに大胆な提案をしてから、僕の心音はどんどん大きくなり瀬尾さんを迎える今日に至っては体から心臓だけ飛び出すんじゃないかと思うほどだった。心の中で言ったつもりなのに「もうすぐ瀬尾さんが来る」と呟いてしまうし。
秋夫は慌てふためく僕をしらっとして見ている。
「何回言ってんだよ」
「だって!」
僕は情けない顔をさらす。
意志の力でじっとしていられるなら、初めからそうしている。
「だってっ、これから瀬尾さんと暮らすんだよ!」
……と、このセリフも何度も言っている。秋夫は面倒くさいのかもう乗ってこなかった。その代わり「おまえんち下宿屋みたいになってきたな」と他人事みたいに言い放った。
普段なら、どの口が言うんだよ、と思うけれど今の僕は受け流す。なぜなら瀬尾さんを迎い入れることができるのも、ある意味では秋夫のおかげだからだ。
正直僕は、母さんが同世代の見知らぬ女の子を家に泊めることを簡単に許してくれるとは思っていなかった。どう説得しようかと(もちろん放火殺人のくだりはカットして)必死に考えて事情を話した。けれど杞憂だった。母さんは秋夫で免疫がついていたらしく、今更ひとりもふたりも一緒だからいいわよ、と拍子抜けするくらいあっさり事が運んだ。
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「――あっ、車の音!」
僕はばたばたと手を振った。
秋夫も寝ころんでいた姿勢からゆっくりと身を起こした。
「早く行こう!」
階段を下り、玄関へと飛んでいく。ドアの向こうに人の影が映った。居ても立ってもいられずサンダルをひっかけてドアを開けた。音に顔を向けた瀬尾さんが、洵くん? と言った。美佳さんが恐縮しながら僕の後ろの人影に頭を下げている。いつのまにか母さんが後ろにいた。
「すみません、お言葉に甘えて図々しくお世話になります。なるべく早く園子とふたりで暮らせる部屋をみつけますので。それまでどうかよろしくお願いします」
美佳さんは丁寧に頭を下げた。
タクシーの運転手がトランクから荷物を出してくれる。
「いらっしゃい、瀬尾さん」
僕は頬を染めながら言った。
「園子、自分の家だと思って遠慮すんなよ」
秋夫が先輩風を吹かせて言った。秋夫の身分が居候だと知っているふたりが思わずクスっとし、その瞬間――、あ、空気がほぐれた、と分かった。意識していない秋夫はいつも自由気ままでときに周囲をぎょっとさせるけれど、裏表がない言動はこんなとき、助かる。
「園子、なにかあったら携帯に連絡して」
「うん」
帰り際の美佳さんに瀬尾さんはさすがに寂しそうな表情になった。
「体調崩さないようにね」
「うん」
「――ご迷惑をおかけしますがどうかよろしくお願いいたします」
美佳さんは母さんに向かってまた深々と頭を下げた。
「大丈夫よ。園子ちゃんのことはまかせてちょうだい」
僕の前情報もあり、家も両親も失った姉妹に母さんは優しかった。火事が原因で失明した瀬尾さんにも、そんな妹を養うために懸命に働いている美佳さんにも同情しているんだと思う。
美佳さんを見送ると秋夫もさっさと仕事へ行ってしまい、家の中は途端にゆったりした空気になった。
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