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芙美は夕食を済ませるとさっさと帰ってしまった。
僕たちが、「秋夫が帰ってくるまで居れば?」と言ったのがいけなかったらしい。
わたしっ、そんなんじゃないからっ!
顔を真っ赤にして怒った。
芙美が帰ってからほどなく秋夫が帰宅した。試しに、「さっきまで芙美がいたんだよ」と教えてみた。秋夫は、ああそう、と言っただけで食卓についた。夕食を平らげて、げっぷをひとつ。……残念ながら、芙美の片想いらしい。
瀬尾さんには一階の客間を使ってもらうことになった。母さんが寝ている和室の隣だ。
年頃の女の子をあずかるのだから、という母さんの意味深な発言に「もちろんだよ」と僕は大真面目に頷いた。それなのに、瀬尾さんにおやすみの挨拶をして二階へ上がろうとする僕に母さんは念を押してきた。「分かってると思うけどね、無暗に下りてくるんじゃないからね」それから秋夫にも「洵が夜中に抜けださないか見張っていてね」などとわざと僕に聞こえるように耳打ちして、まるで犯罪者扱いだ!
そのことを布団に入っても嘆いていると、薄暗い部屋の中、秋夫が用心深い声を出した。
「洵、自分の役目忘れてねえよな」
「役目って?」
僕はベッドの上で身を起こす。
「瀬尾恭二のアリバイ崩し」
「……」
「教習所もせっかくだから行っとけよ」
「……」
瀬尾さんのお見舞いに行った日から、僕は教習所どころじゃなくなった。黙っていると秋夫が欠伸とともに言った。
「園子をドライブに連れて行くんだろ」
「……そうだけど」
秋夫は言うだけ言ってすぐに眠りに落ちた。僕は悶々としながら、暗闇で秋夫のいびきを聞いていた。
……秋夫に指摘されるまでもなく、頭の片隅にそのふたつはずっとあった。瀬尾さんとの約束、それから美佳さんとの約束。だけどいざ瀬尾さんと無制限で向き合える環境を手に入れたら、これ以上に大切なことは世の中にないような気持ちになってしまった。僕はとことん、弱い。弱すぎて恨めしい。
+
次の日から僕は、“僕の仕事”に取り掛かった。瀬尾さんには教習所に通っていることが母さんによってあっさり暴露されていて、出掛けに励まされてしまった。恥ずかしすぎて、穴があったら入りたかった。口止めしなかった僕のミスだ。もう頑張るしかなかった。
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