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第三話 旅の始まり
演劇部の西園寺家での仮住まいの話は、順調に進み週に二―三度の通し稽古のさいに利用させて貰うことになった。謎の多い由香の存在が少しは、理解される様に成ってきた頃に由香から薫に申し出があった。
「旅?」
「そうだ、その時々でどんな旅に成るか分からないけど、まあ、ある種のお告げみたいなものだと思ってくれれば良い。時々、そう言うイメージが私の中に湧上がってきて私を突き動かす事が有るんだ。以前に説明した様に薫との事もその一つだ。そう言う時に、私と行動を共にして欲しいんだ。」
「やっぱり、僕は由香の従者かナイトみたいな役割なんだな。」
「そう言う訳ではない、私にとって薫は、そんな存在よりももっと近しい人だ。」
「なんだ、その近しい人て?」
「たとえば・・・恋人とか肉親、兄弟とかだ。」
「うーん、恋人と兄弟じゃ、大分定義が違うと思うがな。僕はどっちで考えれば良いんだ。」
「それは、薫が決めればいい。」
「ふーん、それで、今回がその旅の始まりて訳。何時もこんな風に呼び出されて、西岡さんの車で移動するのか?」
「それは、ケースバイケースだな。少なくとも、此方の我がままで薫を連れ回すんだから、薫に経済的な負担は掛けたく無いし。旅のスケジュールや場合によっては、宿泊の手配も此方で準備するから。」
「出来れば、もう少し早めに連絡が欲しいな。此方も一応準備が有るからさ。所で今日は何所へ行くんだ。」
「鎌倉だ。」
「鎌倉、それなら八景島の我が家にいた方が近かったのに。」
薫は、五月の連休の時期に起こった春の嵐の出来事依頼、通し稽古が有った週末は、従兄弟の綾佳のマンションで世話に成っていた。今朝、いきなり由香から携帯に連絡があって、綾佳にゆっくりお礼も出来ないまま、部屋を飛び出して来ていた。薫が愚痴ぽくその事を言うと
「だから、私の家に泊まれば良いのに。私の部屋だって、他にだって泊まる場所は沢山有るぞ。」
「いや特に、由香の部屋はご免だ。この間は、幻覚が見えて気絶しそうに成ったし、他の部屋がどんなのかは知らないけど、あの時の様な事にもう遭遇したくないし。」
「あの時?ああ、確かにあの時は世話になったな。驚くのも無理は無いな。あれは私が迂闊だった、手術後体調も良かったので、単独行動をしたのが悪かった・・・薫が一緒に入っていてくれれば良かったのにな、まあ、結果は同じ様なものか、私は意識が無かったから別に恥ずかしく無かったが。」
「そう言う問題じゃない。いきなり学友を亡くすかと思ったよ。AED(自動体外式除細動器)が無かったら、由香を人工呼吸しながら最後を看取る事になってたんだぞ。」
「ほう、人工呼吸したのか、それを考えると何だか恥ずかしいな。」由香は唇に手を当てて少し赤くなっていた。
正式に付き合いだしてから数週間が経った頃、薫は由香の招きで何度か自宅に呼ばれた事があった。大体は食事をご馳走になって、帰宅していたが、その日は、執事の西岡が、由香の母を送るため、成田まで出かけていた。男手が無いのを心配した、メイドの芳山が薫の滞在依頼を申し出た事で、薫は西園寺家に宿泊する事に成った。薫は西園寺家の雰囲気に馴染めないまま、特にワインレッドを基調とした由香の部屋は、そこに居るだけで目まいがしてきていたのでリビングで時間を潰していた。そこへ芳山が駆け付けて、由香の急変を告げ、彼女の指示のまま浴室の洗い場で倒れている由香を部屋まで連れて行き、人工呼吸を始めていた。直ぐに、芳山はAEDを持ってきて機動させた事で、事態が好転したが、その後駆け付けてくれた主治医の話では危ない所だったと言う事だった。それ以後、由香の入浴時は誰かが付きそうと言う事が再開された経緯があった。
「それで、鎌倉に何しに行くんだ?」
「それは行ってみないと分からない。そう明確なビジョンが有る訳では無いいんだ。その時その時によって違うから、薫の時の様に、映像とか雰囲気とか心臓の音まで聞こえる場合も有るけど。」
「心臓の音?何か違いが有るのか?」
「ああ、初めて薫に触れた時、聞き覚えの有る音だった、それを聞いた途端に意識が無くなったんだ。」
「あの、駅での出来事か、いきなり僕の胸に飛び込んで来たかと思ったら、気絶したから、あの時もあの後大変だったんだ。直ぐに西岡さんが来てくれたから良かったけど、由香は僕に近寄らない方が良いじゃ無いのか。」薫が少し意地悪そうに言うと
「ねえ、お願いだからそんな悲しい事言わないで、きっと何かの巡り合わせが有って、やっと逢えたんだから。」由香の切なそうな顔を見て薫は、此奴もこんな可愛い顔するんだなと思いながら
「ああ、分かったよ。悪かったな、確かに何かの縁が有るんだろうな。」と言って、由香の手を握った。その時ふと、由香の心臓の音が聞こえた様な気がした。
二人は暫く黙ったまま、窓の景色を見ていたが、
「お嬢様、そろそろ到着致します。」西岡が声を掛けた。その言葉で、ふと回りを見渡すとどことなく見覚えのある場所だった。
「ここ、うち、東堂の本家じゃないか。」
「ええ、そうなの、薫の家て、八景島じゃ無かったの?」
「ここは、祖父の家、親父の生まれ育った所で、鎌倉の東堂を本家て言って、京都にも在るんだけどそっちは旧家て言ってるんだ。旧家は、叔父さんが継いでる。親父の双子の兄弟だけど、どっちが兄だか弟だか知らないけど。何で此所なんだ?」
「今回のイメージは、緯度と経度が記されていた。日記帳の様なノートの表紙に。」
「由香の頭の中にはGPS(全地球測位システム)でも入ってるのか?」
「そんな訳無いだろう。心臓はいじられたけど頭はいじられて無いもの。」
混乱している、薫をよそに由香は車から降りようとしていたので、
「一寸待って、いくら爺ちゃん家に行くからと言っても、手ぶらじゃ格好が付かないから、済みませんが、西岡さん、その道を真っ直ぐ行ってから左に曲がってください。」薫は、指示した場所の和菓子やで手みやげを誂えてから、車で乗り付けるのも仰々しいからと言う事で、由香に頼んで車を返して貰った。そう言えば大学に入ってから爺ちゃんの所へは挨拶に来てなかったなと考えてから、さてこの状況をどう説明しようかと思案を巡らせていた。東堂の本家は鎌倉でも比較的山沿いに在った。近くに大きな寺が在るため周囲は木立が多く、閑静な所だったが、通りを一本渡れば、海が見えた。
「由香、これって計画的な犯行じゃ無いよな。事前に本家の場所調べて置いたとか?」
「違うわよ。緯度経度を西岡に言ってカーナビの指示通りに来ただけだ。」
「他にどんなイメージが有ったんだ?」
「そのノートの中に、海で遊ぶ子供達や花火をしている場面と、多分みんなで昼寝をしている光景の様なものが有ったと思う。」
「僕の子供の頃とは違うみたいだな。」
「ああ、私も病気が有ったから、そう言いう遊びは経験が無い。」
そうこうしているうちに、門柱だけが残った本家の門をくぐり、踏み石沿いに玄関に辿り着いた。
「素敵な家だな、和風でしっくりと落ち着いてる。」
「ああ、夏遊びに来ている時なんか、部屋じゅう何所も開け放つていたから、よく家のなかで駆け回っていた。」
「良く来ていたのか?」
「ああ、特に夏休みに、母は高校の保険医だから、休みの間も出勤があったから、親父は
海外赴任で居ないときが多かったからな、こっちへ預けた方が、母も気が楽だったんだろう。週末には、母も顔を見せていたが。」そんな立ち話をしながら、薫は回りを懐かしそうに見回していると
「あら、薫ちゃん!」祖母の雪乃が二人を見つけて声をかけた。
「お久しぶりです。大学の郷土史関連のゼミの調査でこの辺を回っていたもんで、序でに挨拶していこうかと思いまして、大学入ってからまだ顔見せて無かったから。」
「まあ、挨拶なんて、何時でも遊びに来てよ。どうせ、行く行くは薫ちゃんが継ぐんだから・・・まあ、そちらの可愛いお嬢さんは?」
「同級生の、」
「初めまして、西園寺由香と申します。今日は、薫君と一緒に取材に来ていて、厚かましくおじゃまさせて頂いてます。」由香は薫の咄嗟のでまかせに調子を合わせていた。
「あら、なんだか仲よさそうね。ほら上がってよ。嘗て知ったる家でしょう。」
雪乃は二人を中庭の見える居間に通して、若い人だからと言って、コーヒーを入れてくれた。暫く、三人で雑談をしながら時間を過ごしてから
「何だか、二人を見ていると健司さんと・・・梢さんを思い出すわね。二人がまだ結婚前の頃だけどね。健司さんは海外勤務だから何時帰ってくるか分からなかったから、本当にぶらっと顔見せてね。梢さんとね。よく泊まっていったわ、良いデートの場所だったでしょうね。」
雪乃は、懐かしそうに話しながら
「ねえ、薫ちゃん達も今日は泊まりなさいよ。梢さんには連絡して置くから。」
薫が由香の顔を見ると、
「はい、おじゃまじゃなければ。」嬉しそうに返事をしたので
「ええ、大丈夫か?」
由香はこくりとうなずいてから
「このお家とっても素敵ですね。何だか京都に居るみたいで。最も私京都は行った事無いですけど。憧れなんです。少し時間を掛けて見て回るのが。」
京都の話が出ると、雪乃は懐かしそうに色々な話題を提供してくれたが、それじゃ昼食の支度をするからと言って座を立った。雪乃は天ぷらとざる蕎麦と焼きおにぎりを作ってくれた。三人でそれを食べた後、薫が誂えた和菓子でお茶をした。由香と雪乃は気が合うらしく、仕切りに色々な話題に花を咲かせていた。少し、離れて薫は、中庭の見える濡れ縁に座り、緑の濃くなった木々を見ていた。庭は祖父により丁寧に手入れされていて、そろそろ紫陽花の季節に成るなと考えていた。腹ごなしにと言って近くの寺を見て回る事になり、散策に出かけようとした時に、雪乃が夕食の献立について薫に尋ねてきた。
「僕は、婆ちゃんのけんちん汁が食べたいな。」と薫が言うと、雪乃は嬉しそうに
「それじゃぁ、炊き込みご飯とけんちんね。お魚の良いのがあったらフライでも作りましょう。」と返事が変えてきた。
二人は、市内を歩いて大仏やら弁財天やらを見て回った。休憩を兼ねて、寺の境内にある甘味屋であんみつを食べている時、由香が
「雪乃お婆様て、随分若いわね。」と薫に訊いてきた。
「ああ、雪乃ばぁちゃんて後妻なんだ。京都から爺ちゃんの所へ嫁いだんだけど、確か娘さんが連れ子で居たらしいけど、若い頃に亡くなったらしくて、あまりその話題には触れたがらないだ。」
「ふん、そうなんだ。京都の話を沢山してくれたから、そうかなと思ったけど。」
あんみつを食べ終わってから、お茶を飲み始めた薫が
「由香て、人格を幾つか持ってないか。」
「人格?多重人格の人格?何で?」
「だって、今日の由香は別人だもの、何時も此くらい可愛いと嬉しいな。」
「それって、褒めてるの、それとも貶してるの?」
「大学に居る時は、服装も含めて愛想ないし、あんまり喋らないし、僕の親父みたく双子の姉妹でも居て、今日は入れ替わってるとかしてないか?ともかく、今日はとっても可愛いよ。」
「うん、取りあえず褒めてくれていると解釈しようかな。実を言うと今日は、妹の方なのよ、て言うのは嘘だけど、でも、双子の妹が居るのは本当。今はロンドンに居るけどね。小さい頃から、イギリスに留学してるの。年に何度か、特に夏休みは少し長い間、帰国するけどね。そのうち逢えるかもね。」
「ふーん、由香が二人居ると思うと一寸気が重いな。はは、これは冗談だけど。」
「私ね。小さい頃は男の子の格好をさせられてたの、そう、この間、薫が小さき時の写真見せてくれたでしょ、髪を長くしてて本当に女の子見たいな。あれとは逆に、髪はショートカットで半ズボン穿いてね。当時誘拐騒ぎが有って、特に女の子は狙われ易いからて理由も有ったんだけど、半分は母の趣味も有ったかな。そんな訳で、初対面の集団の中ではなるべく目だた無い様に振る舞うのと、目だっつ格好や振る舞いをしないと言うのが身についてるんだ。薫が現れなかったら、あの大学にも行かず、そのままエレベーターでK女子大に入っていたわ。それが一番安全だし、みんな顔見知りだしね。それと、少し変人と思われて居た方が、人が寄って来ないでしょ。」
「何となく事情は分かったけど、僕と居る時位、素のままでいいじゃない。その方が断然可愛いし、由香もその方が気が楽でしょう。」
「うん、まあ、でも薫と居るときはそれなりに緊張してるから・・・」
そんな話をしてから、大仏近くの甘美屋を出た。
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