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霞谷が馬を進めると、前を通過する際小さく呟いた。
「今夜は夜半から冷えるそうです……お体、気を付けて下さい」
霞谷は黙って答礼をして、心の中で西森に礼を言った。
『西森……ありがとう、行かせてくれて』
宿営地を出ると、霞谷は黒三月の馬腹を脹脛でギュッと締め、駈歩を促した。黒三月は霞谷の扶助※1に瞬時に応えると軽やかに駈け出した。
「行くよ、黒三月」
『中隊長達は馬の体力温存の為、速歩行軍の筈。何とか前線陣地到着迄には間に合う、大丈夫。黒三月の脚ならきっと間に合う』
霞谷の胸の内を推し測っている様に、黒三月は力強く凍り始めた夜の荒れ野を駈けて行った。力強く響く蹄音を残して。
黒三月は今年六歳の牝馬で、勿論数少ない神乃馬の一頭だ。馬体は名前の通りの黒鹿毛で、額に有る三日月の白斑が個体識別上の特徴となっている。体高はニ百八センチ、馬体重は一千百八十キロ。逞しく発達した大腿から生み出される瞬発力と持久力は、中隊配属の神乃馬の中でも群を抜いている。
霞谷と黒三月の出会いは、黒三月が神洲馬島から仙台の騎兵学校分校へ移された事に始まる。分校で特別襲撃騎兵の第一期要員の十名と神乃馬十頭の組合せが行われた。其処での騎乗や馴致訓練を経て人馬の組合せが決定した。
※1:馬に対しての合図、指示
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