追撃戦

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藍原は青流鬼(せいりゅうき)を霞谷の目の前で止めると戻る様に促した。 霞谷も分かってはいた。狭い間道上を追撃すれば敵の格好の的にしかならないし、この先も同様の伏撃があれば、其れが危険極まりないと言う事も。 「……了解しました。中隊長殿」 「中隊を纏めて宿営地に帰還する。俺は敵を掃討している連中を集める。霞谷は今夜の獲物を持ち帰れ。抗命の罰だ」 「……獲物?」 合点の行かない様子の霞谷に、藍原は顎で地面に転がっている獣化兵の左腕を指した。 「(あれ)を?」 「そうだ。敵を知る貴重な標本だからな」 藍原は困り顔を浮かべる霞谷を見て、口角を上げニヤリと含み笑いを残して去って行った。 霞谷は藍原の後姿を見送ると、黒三月(くろみつき)を下りて転がっている獣化兵の腕を抱え上げた。腕と言っても、自分の胴回り程も有る其れを雑嚢袋に押し込むのは一苦労だ。漸く腕を袋に入れ終えようとした時、ある事に気付いた。 蒼白い被毛に覆われていない掌に文字らしき物が刻まれている事を。 月明かりに(かざ)してみると、それは刺青であった。そして、露西亜語で記された文字はこう読めた。 『愛するマーマ、僕が守るよ。ミーシャ』 「これって……どういう事……?」 肌を刺す冷たい風が、月明かりに照らされた凍った大地を舐めて行く……。 霞谷は自分の声が震え、胸の鼓動が早くなるのを覚えた。そして、言い様のない不安が暗い影となって霞谷の胸の内を満たしていった。 この日、霞谷蹄(かすみたにてい)の戦争――戦いの日々が幕を開けた。 完
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