惨劇

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写真には羽織袴姿の若い女性が写っていた。質素ながら何処か上品な雰囲気を持つその女性を見て、伊藤は少し顔を赤らめた。宇品港を出て戦地に着いてから一月余り、異性を意識する(いとま)など無かったのだから無理もない。 「奥様、お綺麗ですね」写真を覗き込み照れながら言葉を返した。 「伊藤も戦争から帰ったら颯々と身を固めろ」 戦争が終わったら……伊藤は戦地に来てから考えてもみなかったが、北野の話しを聞いて戦後の生活という現実に胸がざわつくのを覚えた。 陣地後方で若年兵が暫し里心に浸っている頃、稜線付近の前方陣地監視哨では事態が動き始めていた。 監視哨塹壕の上に首だけを出して、双眼鏡で遠くを見渡しては、次に肉眼で近くを見る、そんな単調な監視任務に着いていた近藤上等卒の視点が一ヶ所に据えられた。 『何か動いた……気の所為(せい)か……?』 改めてその辺りを双眼鏡で探る。すると稜線下の中腹付近で何かが光った。 「おい、小隊本部、小隊長殿に伝令。稜線下中腹付近に不明物。確認を願います」近藤は傍らの若年兵に告げ、後方に下がらせた。 伝令が転がる様に後方に下がるのを確認すると、再び中腹付近に目を凝らして捜索を始めた。 『んっ!確かに動いた。何か居る……』確信した近藤は双眼鏡を小銃――三十年式歩兵銃に持ち代えると何かが動いた辺りに銃口を向け、槓桿(こうかん)を押し込め薬室に初弾を送った。
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