あたしから、妹へ。

6/7
前へ
/7ページ
次へ
「……さん、聞こえますか?」  通話と一緒に仮想空間から現実に戻った。あれ、女の人の声。あたしのアパートに誰かいる。 「……聞こえます」  誰かに返事をした。寝起きだからかな、酷くかすれた声。重たい瞼を苦労して開く。  なんで寝起き? さっきまで妹と電話してたのに。  白い天井。白いカーテン。病院?  慌ただしい足音や声が、遠くで響いてる。どういうこと。あたし、病院でうたた寝でもしてたのかな。  なんで。アパートにいたはずなのに。 「自分の名前は言えますか? 俺が誰だか分かりますか」 「先生?」  瞬きを繰り返して、はっきりしてきた視界の中。目に入ったのは妹の主治医。  Tシャツの上に白衣を羽織っただけ。ぼさぼさの髪と光を反射しない三白眼。第一印象は怖いけれど、それは身なりを整えられないほど忙しいせい。丁寧で優しいし、笑えばガラッと印象が変わる。 「どうして病院にいるのか、分かりますか?」 「いいえ」  正直に答えると、先生は教えてくれた。 「仕事帰りに交通事故に遭ったんです。意識不明の重体で、一時は危うかったんですよ」 「覚えてないです」  あたしは驚いた。 「あなたは今何歳ですか」 「28です」  いくつかの質問に答えると、先生は頷いた。 「大丈夫です。事故によるショックから、一時的に記憶が混乱しているんでしょう。事故の記憶以外は覚えているようですし、心配ありません」  そう言ったところで、誰かが病室に飛び込んでくる。 「先生!!」 「ああっ、良かった。目を覚ましたんだな」 「お父さん、お母さん」  二人は起きているあたしを見て、涙ぐんだ。あたしのために、二人が泣くなんて。 「ごめんね、心配かけて。ただでさえあの子のことで忙しいのに」  ずっと入院している妹のことで、二人はいつもいっぱいいっぱいだった。そんな二人が自分の心配をしてくれている。それは嬉しい。けれど、同じくらい申し訳なかった。  妹は、筋ジストロフィー症だ。  筋ジストロフィー症は筋力がどんどん低下して体が動かせなくなり、最終的には呼吸すら自発的には行えなくなる病気。意識には何の障害もなくて。はっきりしているのに、体だけが言うことをきかないジレンマに患者は陥ってしまう。  高校二年生の秋、妹はとうとうベッドから動けなくなった。  多くの筋ジストロフィー症患者と同じく、意識を仮想空間に置いている妹は、元気で明るい。仮想の家であたしたちと繋がって、毎朝楽しそうに制服を着て登校していたけれど。  現実に生きる両親やあたしは、そうはいかなかった。  両親は妹にかかりきりで。時間もお金もかかって。あたしは色んなことを我慢して、諦めた。  『あの子のことで忙しいのに』  あたしの言葉で二人は顔を見合わせた。母の眉が下がり、みるみる目に涙が溜まっていく。 「あの子は、亡くなったんだ」 「…………うそ」 「こんな嘘など言うものか」 「そんな、だって、ついさっきまで、VRで……VRで……一緒に……」  うそ。嘘でしょう。  儚く見えた妹。楽しい妹とのデート。彼岸花。蝶になった妹。  あたしは、真っ白になって。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加