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「……さん、聞こえますか?」
通話と一緒に仮想空間から現実に戻った。あれ、女の人の声。あたしのアパートに誰かいる。
「……聞こえます」
誰かに返事をした。寝起きだからかな、酷くかすれた声。重たい瞼を苦労して開く。
なんで寝起き? さっきまで妹と電話してたのに。
白い天井。白いカーテン。病院?
慌ただしい足音や声が、遠くで響いてる。どういうこと。あたし、病院でうたた寝でもしてたのかな。
なんで。アパートにいたはずなのに。
「自分の名前は言えますか? 俺が誰だか分かりますか」
「先生?」
瞬きを繰り返して、はっきりしてきた視界の中。目に入ったのは妹の主治医。
Tシャツの上に白衣を羽織っただけ。ぼさぼさの髪と光を反射しない三白眼。第一印象は怖いけれど、それは身なりを整えられないほど忙しいせい。丁寧で優しいし、笑えばガラッと印象が変わる。
「どうして病院にいるのか、分かりますか?」
「いいえ」
正直に答えると、先生は教えてくれた。
「仕事帰りに交通事故に遭ったんです。意識不明の重体で、一時は危うかったんですよ」
「覚えてないです」
あたしは驚いた。
「あなたは今何歳ですか」
「28です」
いくつかの質問に答えると、先生は頷いた。
「大丈夫です。事故によるショックから、一時的に記憶が混乱しているんでしょう。事故の記憶以外は覚えているようですし、心配ありません」
そう言ったところで、誰かが病室に飛び込んでくる。
「先生!!」
「ああっ、良かった。目を覚ましたんだな」
「お父さん、お母さん」
二人は起きているあたしを見て、涙ぐんだ。あたしのために、二人が泣くなんて。
「ごめんね、心配かけて。ただでさえあの子のことで忙しいのに」
ずっと入院している妹のことで、二人はいつもいっぱいいっぱいだった。そんな二人が自分の心配をしてくれている。それは嬉しい。けれど、同じくらい申し訳なかった。
妹は、筋ジストロフィー症だ。
筋ジストロフィー症は筋力がどんどん低下して体が動かせなくなり、最終的には呼吸すら自発的には行えなくなる病気。意識には何の障害もなくて。はっきりしているのに、体だけが言うことをきかないジレンマに患者は陥ってしまう。
高校二年生の秋、妹はとうとうベッドから動けなくなった。
多くの筋ジストロフィー症患者と同じく、意識を仮想空間に置いている妹は、元気で明るい。仮想の家であたしたちと繋がって、毎朝楽しそうに制服を着て登校していたけれど。
現実に生きる両親やあたしは、そうはいかなかった。
両親は妹にかかりきりで。時間もお金もかかって。あたしは色んなことを我慢して、諦めた。
『あの子のことで忙しいのに』
あたしの言葉で二人は顔を見合わせた。母の眉が下がり、みるみる目に涙が溜まっていく。
「あの子は、亡くなったんだ」
「…………うそ」
「こんな嘘など言うものか」
「そんな、だって、ついさっきまで、VRで……VRで……一緒に……」
うそ。嘘でしょう。
儚く見えた妹。楽しい妹とのデート。彼岸花。蝶になった妹。
あたしは、真っ白になって。
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