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乙女ゲーム転生悪役令嬢と攻略対象王子 本編
ああ、いつのことだろう。
自分は前世の記憶があると気付いたのは。
そうあれはたしか8歳の頃だった。
公爵家に生まれた1人娘の私はそれはもう両親にいたく可愛がられ、愛されて暮らしていた。
それ故にか使用人に対してそこそこ…というかまあ、子供にしては大きい態度で接していたこともあった。
しかし8歳になるお誕生日会の席でのこと、
パーティーが大好きな私はそれはもう大はしゃぎだったのだ。が、そこが良くも悪くも転機となった。
階段を駆け上った直後、あと数段というところで足がもつれて「あ。」と思った時に映った父と母が危ない!と叫んだ顔がスローモーションで流れていく。
そしてこの感覚をなぜか経験したことがあるような気がして、
その直後に頭と背中を走った衝撃と共に何かの映像が急速に脳内を流れた。
それは私の前世の記憶。
高校1年生、やっと慣れ始めた高校生活のある日の帰り道で事故は起きた。
帰りのホームルームで最近不審者が目撃されていると言われた日、運悪く友達が部活で1人帰らなければならずに道を歩いていたら後ろから一定間隔で誰かがついて来ていた。
ホームルームでの話に心臓はバクバクと大きく鳴り、耐えきれなかった私は走り出した。
それを一瞬驚いた様子の不審者はそこで諦めてくれれば良かったもののまさか追いかけてくるとは思いもよらず。
(とにかく逃げなきゃ…っ!!!)
歩道橋を駆け上って走り、反対へ降りる。と、いうところで足がもつれた。
…そこまで流れた記憶はその後何も映していない。
8歳児には大きすぎる痛みと、記憶が呼び起こされたショックとで私はその日大泣きした。
その日以降、私は大人しくなった。
というよりも高校1年生が8歳の少女のように振る舞うことができなかった。
おまけにこの体の持ち主、ジュリアの周囲に対する愚行を思い返して「どう頑張ってもそれはおかしいでしょ?!!」と思うことが多々あったので直さざるを得なかったともいうが。
そして今。あれから数年経って私は立派な公爵令嬢になった。
この国は前世と同じく学校があり、家族の子供は基本的にそこに通う。高校のようなもので、抵抗はなかったのが幸いだ。
しかし問題はそこではないのだ。
「…この春、確かにこの春だったはずなのよね、あの子が来るのは」
ただ転生しただけだと思っていたこの世界。
それにしては度々見覚えがあったり、聞き覚えのある名前があった。
このジュリアもそれのひとつ。
ジュリア・ベルモント令嬢。ずっと引っかかっていたこの名前は、ある日突然思い出された。
それは前世の友人との記憶。
『このジュリアって子が悪役令嬢よー!結構やることえげつないの!!』
『何それ…。ていうか私乙女ゲームに興味ないんだけど』
『知ってるわよ!でも話したいのーー!!このストーリーの良さを聞いてーー!!』
『あーもう、はいはいわかった…』
その記憶に数ヶ月前の私はハッとした。
と、同時に思い出した、その乙女ゲームを。
【ラブ・クロニクル】という、前世の友人がどハマりしていた乙女ゲーム。
ある日貴族学園に入学した平民上がりの主人公を巡る恋愛ドラマが描かれていたはず。
攻略対象は5人で、その内の1人にあたるこの国の王子の婚約者が何を隠そうジュリア・ベルモントだ。
突然現れて我が婚約者を誑かしたと憤慨するジュリアに主人公は虐められてしまうが、結局その悪事を断罪され、晴れて王子と結ばれるのが攻略ルートのひとつだったはず。
そして断罪後、ジュリアは国外追放か投獄が基本だったな…と思い出したところでゾッとした。
つい少し前に、その王子ルーカス・ヒプリオンと顔合わせをしたばかりだったからだ。
その時はもちろんまだここが乙女ゲームの世界だと気付いていなかったのもあり、顔合わせは卒なくこなした程度で済んでいた。はず。
「いやいやいやいや、それにしたってよ!!!ヤバすぎるでしょ私の立ち位置…!!!なんでそうなるのよ…!!」
このままでは完全にまずい。
即座に判断した私はノートを取り、ペンで書き殴った。
友人からこれでとかと聞かされていたので全ルート、なんなら隠しキャラに攻略情報まで頭に入っている。それらを思い出せるだけ書き出す。
そしてルーカスルートを重点的に把握し、『とにかく無用な関わり合いは避ける』を目標に日々を送ってきた。
それはもう、バレないようにしつつも婚約者としてつつがなく生活して、かつもし国外追放にされようものなら外でも生きていける術も学んでいた。
そんな数ヶ月を過ごして、いよいよ主人公が入学してくる季節が来たのだ。
「き、きっと大丈夫よジュリア。私の…というか友達のだけど、知識があればなんてことはない…!!!」
そっと全てを記したノートに触れて、一呼吸ついてからそれを棚に戻した。
鍵のついた書物を開けるものはいないだろうと、特に厳重な保管はしていなかったが今のところ使用人が何かしたりしたこともないので普段から本棚に並べていた。
「よし、断罪回避!されるとしたら国外追放目標!強くたくましく1人でも生きる!!」
そんな意思を強く、休暇明けの学校に向かった。
ーー…の、だが。なぜこうなっているのか。
「あ、あのー…殿下?」
「なんだい?ジュリア」
「えーっとですね…?そのー、何の御用でしょうか…?」
広い学園の一室。それも生徒会室。
その隅に追いやられている私と、追い込んだルーカス殿下はそれはそれは優しげに微笑んでいらっしゃる。黒いオーラを後ろに控えさせて。
「ジュリアが逃げてしまうから捕まえないとと思ったんだ」
その言葉にギクリ、と肩が揺れそうになって慌てた取り繕う。
「何を仰いますか、殿下。私がそのようなこと…」
「してるよね?無自覚とは言わせないよ?数年間どう考えても故意にやっていることはわかってるんだからね?」
「う……」
さすがは次期国王。洞察力が鋭すぎる。
バレていない、と思っていた訳ではないけれど気に留められていないだろうとタカを括っていた分かなり分が悪い。
そろり、と殿下を見上げるも、青く光る瞳がこちらを捉えて離さない。
「ご、誤解かと思いますわ」
「うん。誤解だといいんだ、僕達は婚約者なのに月に数度定期的な会食しかしないことも、僕からの手紙への返事頻度が遅いのも、学園ではなかなか捕まってくれないのも全て誤解なら、何も問題はないんだよジュリア。」
「ひぇ……」
かなり、それも結構根深く気にしていらっしゃる…!!
じりじりとにじり寄られ、気付けばもう壁際。
半歩も下がらない距離に詰められたと思えば、ジュリアの両脇に手をつき、しっかり退路を断つルーカス。
普段こそ温厚かつ誰にでも優しいルーカスがここまで感情を表に出しているところを他の生徒はもちろんのこと、ジュリア自身も見たことはなく、背中に冷や汗が流れた。
「殿下、と、とりあえず落ち着いてくださいませ」
「僕はいつだって落ち着いているよ可愛いジュリア。まるで僕に怯えてるみたいだけれど」
ん?と顔を近付けられ、そのご尊顔に思わずジュリアは目を逸らした。
乙女ゲームであるからこその顔の良さは何年経っても慣れない。しかも近くともなれば余計にだ。
そもそもジュリアにとってすれば、この状況はなかなかにイレギュラーだったのだ。
計算通りの時期に主人公であるアデル・テオライトは入学してきた。そしてすぐルーカスと知り合い、時には2人で話しているのも見かける程だった。ルーカス同様他攻略対象にも必要以上に近付かないよう過ごしていたジュリアの懸念材料はルーカスルートのみ。
しかし2人は良い雰囲気で話しているし、自分はこれまで通り邪魔をしなければそっとフェードアウトできると思っていた。
何なら近いうちに婚約破棄も申し込むべきかと思い至ったところだった。
だからこそ、このルーカスの態度はジュリアを混乱させるだけだった。
(何で…?何でこうなったの…?)
ルーカスはそんなジュリアの胸の内を知ってか知らずか、そっとジュリアの顎に手を添えて自身の方を任せた。
「でん、か…」
「それとねジュリア。僕は殿下という名前ではなくルーカスという名前があるんだ。…わかるね?」
「ひ…っひゃい……ルーカス様」
名前を呼ぶと少しだけ満足したように笑うルーカス。
「うんうん。第一関門はクリアかな」
「だ、第一関門、ですか」
「そうだよ、君は今まで両親や他の人の前では名前を呼ぶくせに2人きりになると急に他人行儀になるのだから」
くっ、流石にあからさますぎたか…!!!
過去の自分の行いに後悔した。出来るだけ近付かない=気を持たせない、待たされないために、2人きりの時は平常以上に警戒してしまっていたのが仇となっていたようだ。
「さて、次は…うーん、何からいこうか?」
「な、何とは、なんでしょうか…?」
思わず聞き返せばゆっとりと、
「手を繋ぐ?抱きしめ合おうか?今までしてこなかったのだから。それとも…」
すぐに、繋がってしまおうか?
「っひぅ…!!!」
耳元で囁かれた甘く、それでいて少しの怖さを含んだ言葉に体が震えた。
繋がる、とはつまり、そういうことを意味しているのだろうと、いやでも瞬時に理解してしまい体温がかあっと上がる。
ジュリアの反応に、くすりと笑ったルーカスの表情を見なかったのは幸いだったかもしれない。
「そうだ、全部いっぺんにやればいいね」
「………え?」
全部、いっぺんに、とは。
一瞬固まった思考と体。その不意をついてルーカスはさっとジュリアを横抱きにし持ち上げた。
突然のことに驚き、そして宙に浮いた不安感から思わずルーカスの首に腕を回して捕まる。
「ふふ、可愛いねジュリア。しっかり捕まっていて」
「はっ!いや、その、これは不可抗力と言いますか…っ!」
「うんうん。今は気分がいいから何でも許すよ」
(今はって何…今はって…ものすごくハッキリ言われたのだけれど…)
次々起こされるルーカスの行動に頭が追いつかないままのジュリアをルーカスは生徒会室の奥への連れて行く。
3年になった今、ルーカスは生徒会長を務めている。ジュリアは秘書として入っているが、ルーカスの開けた奥の扉は会長しか鍵を持たない部屋だ。
いわゆる仮眠室であるが、不用意な使用を避けるように鍵は生徒会長のみが保管しているのだ。
ジュリアを横抱きにしながらも器用に鍵を開けると室内へ入り、中に常設されたベッドにそのまま座る。
「あ、ああ、あの、殿下」
「ルーカス」
「っ…ルーカス様、下ろしてくださいませ!」
「何故?これから沢山2人で愛し合うのに」
「愛っ?!!!?!!!!」
愛し合う?!!?!
思わぬ発言に油断するとすぐさまベッドに押し倒された。
仰向きに倒されたジュリアを再び逃さないよう両腕で囲いながら覆い被さるルーカス。
ジュリアの心臓はもう限界値寸前だった。
「ルーカス様、だ、ダメです、絶対ダメです」
「何故?たしかに純潔を守ったまま結婚したかったけど…逃げてしまう君を留めておくにはこれが最適じゃないかな?」
「全くもって最適じゃないです!!!」
思わず言葉も雑になってしまう。
しかしルーカスはそんなジュリアを見て微笑むだけだった。
「学園でも家でも、完璧な淑女であろうとする君の姿勢は凄く好ましいよ。でもいつしか思ってしまったんだ、僕にだけそんな君が崩れるところを見せて欲しいって」
「っ…ルーカス様…」
「君が何を恐れて、何で僕を突き放そうとするかは分からない。でもこれだけは確かなんだジュリア。僕は君と結婚したいし繋がりたい。この先も君が隣にいてくれたらって思っている」
少し寂しそうに眉を潜めて告げられた言葉にジュリアの心は揺れた。
今までルーカスは婚約者というより主人公の攻略対象、という見え方をしていた。断罪を回避することが目的だったジュリアからすれば当然だが、実際に生きているルーカスにとっては婚約者の態度に疑問を抱くのみだったのも肯ける。
(そう…そうよね…ルーカス様も他の皆さんも、ゲームの世界とはいえ生きているのだから)
己の為にだけ動いてきた十数年だった。
それを今、返り見ると結果として悪役令嬢にこそならなかったが婚約者である1人の人間を傷つけてしまっていたということに気付いた。
「あの、ルーカス様…。私、不安でしたの」
「不安?」
「ええ。私たちの婚約は両親が決めたもの。いつか私よりもずっと良い方が現れるかもしれないと思うと、不安でその…ルーカス様とちゃんと接することが怖かったのです」
「ジュリア…」
これに関しては本当のこと。
ゲームのストーリーというのもあったが、元はこの世界の住人では無い自分が、しかも王子と結婚だなんて先々を想像しては不安に震えた。
「ごめんなさいルーカス様…」
「ああ、いいんだジュリア。君を悩ませてしまってすまない。」
ぎゅう、と抱きしめられ、初めて触れた体温にジュリアはひどく安心した。
きっと、きっともう大丈夫なのだと。それを確かめるかのようにジュリアもまたルーカスの背中両腕を回した。
「そうだ、ジュリア。君の不安を今すぐに取り除こう?」
「…はい?」
今すぐに取り除く、とな…?
若干雲行きが怪しくなったのをこの時、すぐに判断できなかったのはよもや定めだったのかもしれない。
「それは、どういう…?」
「聡明な君ならすぐにわかるだろう?ジュリア」
「?…っ!!!」
スルリと、スカートの上から撫であげられた脚に驚くと同時に気付く。
ルーカスは先程までのやりとりを無かったことにする気はないということを。
「そ、それはその!婚前ですから!!」
「ここで繋がって…そういう事実ができれば君も安心だろう?」
「そういった安心は…!!」
求めてません!と言い切る前に、口を塞がれた。それも、ルーカスの唇で。
「っ…!!」
「ジュリア、沢山啼いていいよ?鍵は閉めてないから声を聞きつけた誰かが来てしまうかもしれないけど…それはそれで証人が増えるだけだし、良いね?」
「な、な、何も良くありませんんん!!!!!」
静かな室内にジュリアの叫びは虚しく響くのであった。
(終)
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