4、「悲愴」へ

1/1
前へ
/5ページ
次へ

4、「悲愴」へ

レストランの外へ出た時、ピョートルはまだ胸の動悸が収まっていなかった。 晩秋の外気は外套を着た彼の肌にひんやりした感触を与えたが、ピョートルはむしろ心地よさを感じた。 馬車や人々が行きかうネフスキー大通りの喧騒も、その中に動悸や不安を紛れさせることができるので好ましかった。 ニコライは、なぜ突然セルゲイの名を持ち出したのだろう。やはり、私がセルゲイという名をどこかで声に出したのを、誰かが聞いていたのだ。 それ以来、ピョートルは異星人セルゲイとコンタクトする際は慎重をきわめ、声を出さずに頭の中で会話する術を会得した。 セルゲイとのコンタクトは月に一度くらいだったが、すでに出会ってから10年以上の月日が経っていた。ヨーロッパ放浪生活の後も演奏旅行などで慌ただしい毎日を送っていたピョートルだったが、セルゲイのおかげでインスピレーションの泉は枯れることなく、彼は音楽を作り出す喜びに満たされていた。 モスクワからさほど遠くない自然豊かな村に居を構え、規則正しく平穏な日常を送るようになった。食事、読書、勉強、お茶といったルーティンの中でも、毎日欠かさない散歩は作曲の着想を得る貴重な時間だった。 その散歩のさなかに、木々の葉擦れの音や鳥の声、川のせせらぎなどに混じって、セルゲイの声が聞こえることがあった。 それはピョートルにとって、新たな曲が誕生する前触れだった。セルゲイの声に導かれて、新鮮なメロディがこの世界に新たに生まれ出る。 ピョートルは恍惚となりながら、その旋律を夢中でノートに書き留めた。 こうして二人のやり取りは純度の高い音楽空間の中で行われ、二人の音楽への愛と才能がかけ合わさって、宇宙を含む世界が震撼するほどの作品が紡ぎだされた。 今やピョートルにとって異星人セルゲイはなくてはならない音楽の精ともいえる分身であったが、面影として浮かんでくるのは、若き日に歌曲を贈った紅顔の美少年、セルゲイだった。 異星人セルゲイとの関係があまりにも有益で充実しているので、ピョートルはしばらくセルゲイのコンタクトがないと不安に襲われた。 しかし自分たちは音楽によって深く結びついているのだと自らを安心させ、作曲へとひたすら心を傾けた。その姿勢が功を奏するのか、大抵の場合、曲の香りに引き寄せられるようにセルゲイは戻ってくるのだった。 異星人セルゲイの話から、いずれは彼が地球を去る日が来るということは覚悟していた。しかし、百年宇宙を旅し、百年休息するという説明なので、そんなに近い未来ではなさそうだとピョートルは楽観的に考えた。 すべて生命あるものは、遅かれ早かれ終わりを迎える。自分、ピョートルの寿命が尽きるのと異星人セルゲイとの別れの時が来るのとどちらが先か、一体誰にわかるだろう。 ある日の午後、ピョートルは新しい交響曲のイメージとの遭遇に高揚する気分で、自宅の周辺を散歩していた。 交響曲第6番となるその曲は、かつてない大物が釣れたような手ごたえを彼に与えた。そこへ絶妙のタイミングで異星人セルゲイが現れ、原石を磨いてダイヤモンドの輝きを生み出すように、ピョートルの曲のイメージに磨きをかけていった。 「この交響曲には、標題をつけるつもりなんだ」 全部で4楽章となるこの曲のイメージが頭の中で出来上がると、ピョートルはセルゲイにこう打ち明けた。 「この曲は、人生を4つの楽章で表現しているようだ。君の人生の集大成ともいえる。その人生を端的に言い表す標題にするべきだ」 とセルゲイは思慮深く言った。 「人生には喜びと悲しみがつきものだ。両者は光と影のように対極をなしていて、悲しみがあるからこそ喜びがあるのだ。 人は悲しみより喜びのほうが良いと考えているが、その実、悲しい曲の方を好む傾向がある。喜びをもたらすための引き立て役のような悲しみにこそ、人生の醍醐味が内在しているのではないだろうか。 だから私は、この交響曲を究極の悲しみで終わらせたい。標題もそれにちなんだものだ」 ピョートルの曲への想いを汲み取って、セルゲイが標題を断定的に提言した。 「『悲愴』でどうだろう」 「それだ!」 ピョートルは心の中で快哉を叫んだ。 その瞬間、交響曲第6番が未来へ、後世へと羽ばたいていくのを全身全霊で感じた。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加