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林檎がひとつ
これより未来でのことだった。
ヒトはヒトのあるがままに生き、地球も母なるままに命の星であった。
首都を海辺から山裾の盆地へと移した島国に、ひとりの女の子が生きていた。
名前をサクラと云う。
拒食症の少女サクラ。
骨に皮をはりつけ、ぱさぱさの髪をはやし、どうにかこうにか血液を循環させているだけみたいな、生きたミイラみたいな体の女の子。
サクラは林檎だけが食べられる食べ物だった。
自分の味をおぼえてしまうまでは。
環境再生がうまくいき、スモッグに陰らない、うんと澄んだ青い空の下、サクラは白いワンピースの裾を揺らしていた。
空に語りかける。
あのね、体重が三〇キロをきったの。
空も雲も何も言わない。
これは誰にも言っちゃいけないの。
ただ静かに風がふく。
私が綺麗でいるために。
ふふふ、と笑って、可憐にスカートをひるがえして家に入った。
時計を見る。
正午五分すぎ。
あ、おなかすいた。
でもね、これも誰にも言っちゃいけないの。
おなかすいた、なんて、なんて欲どしくてはしたない言葉かしら。
私は林檎を食べるわ。
智惠の実であってなんて神聖な食べ物かしら。
これ以外の食べ物なんて、食べて太らなきゃ生きてけないかわいそうなヒト達が食べる物なの。
その日も、自室で食事。
部屋のまんなかで林檎を切る。
おつくべして儀式のように。
台所から持ちだしたまな板と包丁。
床に並べ。
ガイコツのような手で持った包丁をあてがい。
林檎を、切る。
イタッ。
指先に、血。
傷に赤い小さな玉が咲く。
サクラはなめた。
びっくりした。
わ、なんておいしいの!
林檎なんて目じゃないわ!
それはしかたのない発見だった。
拒食症の長患いの果て、病みきってしまった脳の悲しい発見だった。
サクラの両親はクローン技術の権威だった。
娘にねだられた両親は、サクラのDNAをベースに、サクラの『食べ物』を作り始めた。
重度の拒食症の娘をどうしたら助けられるのかわからない、もどかしい必死の想いからの、行為だった。
その愛。
これしかわからなかった。
優秀な頭脳をもってしても理解しきれない、心の病への精一杯の、愛。
すぐれた技術は次々にサクラを量産した。
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