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◇
まさか、一馬さんに子どもがいたなんて――。
だから一馬さんは、3人の部屋に入ったら駄目だと、あれほど強く禁じていたんだ。
あの女の子を部屋に隠しておかないといけないから。
きっと私を手に入れるまでの、時間稼ぎだったんだろう。
考えたくはないけれど……あんなにも簡単にプロポーズまがいのことをしてきたのは。正直、小さな娘のために早く奥さんを見つけたかっただけとしか思えない。
私じゃなくても、誰でも良かったんだ。
もしかしたら、他の女の人にも手当たり次第プロポーズしていることも考えられる。
たまたま今回は私がOKしていただけで。私がダメなら、きっと次の人も用意しているんだろう。
エレベーターで1階に降り、淡いライトに照らされたマンションのエントランスに着く。
ふと顔を上げると、自動ドアの向こうには見たことのある背の高い人がいた。
3兄弟の真ん中、拓馬さんだ。
オートロックが解除されたようで、微かな音とともに自動ドアが開く。
二人を隔てるものがなくなり、うつむきがちに立ちすくんでいると、向こうがゆっくりと近づいてきた。
泣きそうな顔、気づかれないといいけど。
「……あんた、誰だっけ?」
私をぶしつけに見下ろし、僅かに首を傾ける彼。
真っ白なYシャツに青いストライプのネクタイをしていて、スーツ姿は見惚れるほど格好いいけれど……。
ここは、ドラマや漫画なら慰めてくれるところなんじゃないの?
顔も覚えていないとは失礼な。
「深瀬奈雪です。一馬さんの──」
若干強い口調で名前を名乗るけれど、途中で尻つぼみになってしまう。
あんな事実を知ったあとで、一馬さんの“彼女”だと告げることがどうしてもできなかった。
「ああ……兄貴のヨメ候補ね。その顔、兄貴に泣かされたんだ?」
涙目の私を微塵も可哀そうとは思っていない口調で、拓馬さんは片方のくちびるを歪めて笑った。
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