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「いや、いいんです。行くの、やめましたから」
黒髪の彼はさばさばとした口調で答えた。
どうやら彼の名前は“タクマ”さんというらしい。
英国風王子様だけが私へ向けて軽く微笑んだあと、すぐに彼らはホテルのロビーから出て行ってしまった。
もう会うことなんてないんだろうな、とスタイルの良い後ろ姿を名残惜しげに見送る。
一生分の勇気を振り絞って、連絡先を聞いておけばよかったかな。
いやいや、そんなのは非現実的。
地味な私のことだから、断られるに決まっているし。もともとあんな素敵な人、釣り合うわけがないんだから。これでよかったんだ。
自分に言い聞かせた私は、廊下の鏡で自分の姿をちらりと確認した。
そこにはベージュのシフォンワンピースを着た平凡な女が、ぼんやりと映っている。
肩に下ろした暗めの髪は、ブローもせず伸ばしっぱなし。
メイクもおざなりで、マスカラとチークはいつも省いている。
なんの取り柄もない私は、普通に地味でおとなしいタイプの人と付き合うのが正しい選択だと思う。
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