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第一章 4 『希望と失望と渇望』
五人組に殴られ、ツムギに救われたその日の帰り。
流榎は東峰に呼び出されていたので、昨日と同じ廃ビルの一室へと足を踏み入れた。
昨日と同じ位置に東峰は座っていて、ノートパソコンをいじっている。
彼女らノートパソコンへのキーボードの打ち込みを止め、冷酷な目を流榎に突きつけた。
「——随分と遅かったのね。びびって逃げ出したのかと思ったわ」
突きつけた眼差しを再びバソコンの液晶に戻しながら、無機質な話し方で言った。
「別に何にも怖がる事なんてないと思うが」
東峰は興味もなさそうに無視。
「その紙は何?」
流榎は左手の人差し指を、数枚の紙に向けた。
東峰の向かい側に置いてある椅子に、流榎は腰を掛ける。
東峰は紙を一枚取り出し、流榎の前に差し出してきた。
「まずはこれを見て」
そこには、どこか見覚えのある男の写真が載ってあり、量としては少ないが、まるで履歴書のように男の情報が記されていた。
「この男は、和倉 実。身長171センチ。体重62キロ。部活はサッカー部ね。中でも逸材らしくて、一年にしてスタメンどころかエース級らしい。来年の高体連の結果によれば、プロ入りも十分に有り得る程らしいわ」
精密な機械のようにその男の情報を、東峰は述べる。
「そうか、こいつは和倉実というのか」
「――あんた、名前知らなかったの?」
訝しむような視線を東峰は送る。
「ああ」
「……そう。まぁ別にいいわ。こんなことで時間を浪費している場合じゃないから、次いくわよ」
「ああ。そうしてくれ」
東峰は和倉の紙の上に被せるようにしながら、二枚目の紙を見せる。
「二人目。この男は、萩田 希。身長百178センチ。体重68キロ。成績は優秀。なんでもこの高校に特待生で入学してるわ。だけれども、家庭は母子家庭で、さらに貧困。毎日生きていくのもやっとって感じね。帰りにアルバイトを何件もこなしながら家計を支えているわ」
「なるほど。だから、僕によくカツアゲしていたのか」
「そうなの。じゃあ次」
東峰は三枚目の紙を被せる。
「三人目は、久米 明彦。身長百172センチ。体重60キロ。数年前に両親を事故で亡くし、今は祖母と二人で暮らしているわ。足の弱い祖母を労りながら、生活しているとのこと」
「ああ、こいつは僕の顔をバケツの中に突っ込んできたやつか」
「——次」
東峰は四枚目を被せる。
「四人目は、須和 徹。身長165センチ。体重55キロ。父親が画家をやっているらしいわ。日本ではそこそこ有名らしいわね。そして、かなり親に依存しているらしくて、喋るのが好きな女々しい男。だけれども、かなりの家族思いらしいわ」
「マッチのやつか。あの小柄な」
顔と名前が一致していなかったものが、パズルのピースのように合わさっていく。流榎は顔、名前、行動、言動を全て振り返りながら、真剣に東峰の話を聞く。
「次、一旦外れるけどこれ」
そう言いながら、五枚目の紙を渡してきた。
「これは——」
「そう。あなたの担任。五人目は山本 清彦。身長170センチ。体重70キロ。札幌黒東高校 一年七組担任よ。独身で女子贔屓の激しいセクハラ親父と言われている男。あなたへの暴行を見て見ぬ振りどころか、嘲笑った男よ」
「セクハラ親父…………か」
流榎の頭にある一つの手段が浮かんだ。
それは、性別が男である流榎には使えない手段。
――だが…………。
東峰は少し時間を置いてから、最後の一枚を流榎に差し出す。
「六人目は、この暴行の主犯であり、リーダー格の龍神 蓮。身長182センチ。体重70キロ。学校でファンクラブが出来るほどの人気があり、容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能っていうスペック持ちね。さらに、父は政治家、龍神 秀明の息子という非の打ち所がない肩書き」
「でも、弱点はあるんだろ?」
流榎がそう言うと、東峰は腕を組んだ。
「父親がかなり家で乱暴らしい。龍神の家族構成は、父親、母親、妹で構成されているのだけど、父がかなりの亭主関白で蓮以外の二人に暴行や脅しなどを日常的に行っているとか。だから、龍神蓮は、二人を解放すべく、自分が父親と同等の権力者になるために奮闘しているらしいわ。いずれ父親を失墜させるためにね」
「随分と詳しいんだな」
「こっちもかなり調べてあるわよ」
「そうか。すまない。ありがとう」
流榎は感謝の弁を東峰に贈る。東峰はそれに見向きもしないが、流榎はあることを思い出した。
「もうひとつ弱点があるかもしれない」
「え?」
流榎の突然の告白に東峰は目を見開く。
「慈照寺紬っていう女を知っているか?」
すると、東峰は何かを悟り、流榎から目を逸らした。
「『――棘無しの赤薔薇』か」
東峰は窓から外を眺めるように言った。
「知ってるのか。他にどんなことを知っているんだ?」
「何? あんたも惚れたの?」
軽蔑の眼差しを流榎に向けながら東峰は言った。
「いや、今日たまたま昼に助けられただけだ」
「——そう」
東峰は息を吐くように言葉を紡ぐ。
「『棘無しの赤薔薇』こと慈照寺 紬は一年九組在籍。この学年、——いや、この高校の誰もが知ってる高嶺の花。誰とでも友好的な関係を築き、その陽気な笑顔で男女共に無差別に魅了するも、異性交際の音沙汰は全くなし。告白は何度もされているが、『好きな人がいる』の一点張りでどんな人気者の男子の告白をも断っている、真の意味での棘無し。そして、優秀な兄を持つのが、慈照寺紬という女よ」
「またまた、詳しいな」
「——まぁね」
意味ありげに東峰は言った。
「多分だけど、龍神蓮は慈照寺に対して恋愛感情を抱いていると思う」
流榎は今日の昼にあったことを回想しながら告げる。
「根拠は?」
「勘だよ」
流榎はテーブルに肘をつけ、手のひらで顎を支えるような姿勢になりながら言った。
「そう、勘なのね。で、何をするの?」
「まぁ、単純に考えて三つ選択肢はある。
一つ目は、慈照寺を何らかの形で傷付ける。
二つ目は、慈照寺を脅しの道具に使う。
三つ目は、僕が慈照寺本人と親密な関係になること」
東峰は最後の言葉を聞いて吹き出した。初めて彼女の笑った顔を見たため、流榎は少し感激した。
「本気で言ってるの? 無理でしょ? あんたみたいな男らしくもない色白で今にも死にそうな顔したヒョロガリな男が? 無理無理」
頬を緩めながら、東峰は流榎に苦言を呈する。
「それは言えてる。しかも、別に僕が恋愛感情を抱いている訳じゃない。ただ利用出来るかもと思っただけだよ。成功の可能性なんて微塵も考えていない。ただ、三つ目が成功すれば、他の何よりもアイツを陥れる事ができる気がする」
「まぁ、やれるだけやってみたら?」
まだ頬の緩みが収まりきらない状態で東峰は言った。
「だけど、僕は女子とまともに話したことも無いし、話し方も分からない。何より話したいと別に思わないから、追い風が来たらでいい」
「じゃあ、三つ目は考慮は——」
「無論しない。一つ目か二つ目で計画を実行する。場合によってはどちらも使える代物だし、貴重なカードだからな」
流榎は他人事のように気怠げな口調で言った。
「でも、慈照寺 紬には『好きな人』が居るらしいから、それがあんただったらいけるわね」
東峰は、愚にもつかない話を真剣に語る。
「じゃあ、尚更三つ目は無理だな。一つ目か二つ目のどっちを優先すべきか、考えておかなきゃな」
「————」
東峰は無言でそのまま外を眺めていた。
「そういえば、慈照寺は『棘無しの赤薔薇』なんて呼ばれてたけど、君はなんか異名みたいなのは無いのか?」
流榎の突然の発言に、東峰は窓から流榎に視線を移した。
「————さぁ、私はあの子とは比べられないわよ」
「そうかな?」
「ええ」
東峰が流すように流榎に返答した直後、椅子から立ち上がり、流榎の前まで来た。
「立ちなさい」
東峰の言葉通り、流榎は立ち上がる。
すると、東峰は流榎の上半身を採寸でもするかのように、軽く触った。
「なんだよ。急に」
「馬鹿じゃないの。ヒョロガリ。そんなんじゃ返り討ちにされるわ。もっと鍛えなさい。準備には少し時間が掛かるから、その間に護身術でも学びに行くといいわ」
「どのくらいだ?」
「何をするかにもよるけど、多分半年くらい」
「なぜそんなにかかる?」
流榎は不思議だと言わんばかりの表情を浮かべながら言った。
「情報を獲得する期間。計画を徹底して練る期間。道具の準備の期間、等々を考慮すればこの位は妥当よ。それまであなたは耐えられるかしら?」
「まぁ死ななければ大丈夫だ。心がやられたことは無い筈だから。厳密には違うかもしれないが」
「————そうだったわね……」
東峰は、何だか気落ちしたように呟いた。
「というか情報の獲得はどうするんだ?」
「私がハッキング——いや、クラッキングをするわ、場合によっては」
「そんな事できるのか?」
流榎は東峰がそこまでの能力を有していたことに感心すると同時に、その能力を有していること自体に疑問を感じたが、特に気にしなかった。
「まぁ、少しだけだけれども」
東峰は俯きながら呟く。
「勘違いして欲しくないのは、私が協力するのは、影の助力よ。決して表立っては行動しない。だから、あなたは何か顔や体を隠す物を用意しなさい」
流榎は確かにそうだと思った。そこまで東峰を巻き込む訳にはいかない。下手したら警察沙汰になる可能性もあるのだ。むしろここまで協力してくれること自体に感謝すべきだと頭の中で考えた。同時に東峰が協力するメリットが流榎には全く理解できなかった。
「勿論、弁えてる」
「そう。ならいいけど」
東峰は立ち上がり、窓に向かって行った。
流榎もまた、東峰の横に並び、窓の外を眺めた。
「これからきっと、色んな人が涙を流し、許しを乞うことになると思うわ」
「だろうね」
流榎は窓の外で烏が二羽ほど、漆黒の翼を羽ばたかせながら飛んでいるのを見た。
「そんな舞台がこれから始まるの。その舞台をあなたはどう思う?」
東峰が流榎の方に目を向ける。それに続くように流榎もまた東峰の方を見る。
「——ゲームだよこれは。ただのゲームだ」
東峰は再び窓の外を見て、
「————あんたはやっぱり……最低だわ」
「そうか?」
「ええ」
流榎も窓の外を再び眺める。
「だって人の不幸は蜜の味って言うだろ?」
「——それをドイツ語でなんて言うか知ってる?」
東峰は先程よりは優しい口調で流榎に問う。
「知ってるよ」
「なに?」
「『シャーデンフロイデ』——だろ?」
流榎は横目で東峰の方を見ると、東峰は空を観察したままであった。
流榎は東峰の制服の胸ポケットに入ってある写真らしきものに気付き、何が写っているのかが気になったが、それを今、東峰に聞くのは少し気が引けたので、再び空を眺めることにした。
————まだ、彼がその写真が何なのかを知る術はなかった。
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