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下校途中の鮮やかなひと時に浸る僕をよそに、隣で鼻をクンクンと鳴らしながら、マイペースな口調で凛が言った。ふいに吹いたそよ風につられて振り向いた僕の目に映る、その自然な仕草。彼女の横顔に照り返す夕日が、やけにそれを美しく見せた。前に向き直ると、僕も凛に習って鼻をクンクンと鳴らしながら返す。
「キンモクセイ?なんだっけ、それ」
時刻は5時過ぎ。部活の顧問の先生が休んでいたから、いつもより早く部活が終わった僕は、明日の練習試合に向けて、同じく部活が早く切り上げられた凛と、偶然帰るタイミングが重なった。お互い、部活の引退は冬の大会に持ち越されている身だ。
「一緒に帰るのなんて、小学校の時以来だね。」
この時期のこの時間、空の色と街の色の幻想的とも言えるコントラストに覆われる空間を、優しく愛でるように仰ぎながら、僕の質問を無視して凛が言った。
「だからキンモクセイってなん……」
「この匂い。甘くて、トロ~ン、ってする匂い。芳香剤とかに、よくあるでしょ。」
「……芳香剤?なんだっけ、それ」
言葉をさえぎられた僕は、意地悪くそう言い返す。
「金木犀、知らないの?この匂いがすると、あぁ、秋だな~って。祐樹は感じたことない?わたし、結構好きなの」
言い終わると凛は、こっちのことはお構いなし、とでも言わんばかりに、今度はいきなり鼻歌を歌いだす。
僕らは所謂ただの幼馴染で、第一僕には気になる女の子がいる。それでもただ純粋に、この時感じたのはキンモクセイの香りでも秋の予感でもなく、凛への素直な愛おしさだった。時が経つにつれ、凛とは昔みたいに一緒に遊ぶ、なんてことはなくなっていた。異性として意識していなかったけど、意識していた。言葉にすると支離滅裂だけど、思春期に入った僕らの関係を表すとするなら、それが、一番しっくりくる響きだろう。
中学校を卒業するということは、同時に、慣れ親しんだ忍足(おしたり)村から離れるということも意味している。山間に位置するこの村は、歴然たるド田舎なため、近くにコンビニも、ゲームセンターも、おまけに高校も、ない。そんな村だから、もともと若い人はみんな「村から出たい」という気持ちを例外なく持っている。そのためのいいきっかけというか口実というか、とにかくどうせ長い時間をかけて高校に通うくらいなら、いっそ開けている土地で、アパートなり寮なりに住んで高校に通う、という、お決まりの進学ルートがこの村には存在している。
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