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第八章「対峙する闇」
昨日の朝、秋浜はここで……。
僕は、登下校の際に何度も行き来してきた忍足地蔵のそばで、自転車を停めて草むらに入ってきていた。規制線はすでに解かれていたので、警察も発見現場を粗方調べ終えたのだろう。僕は、秋浜と最後に交わした言葉を思い出していた。
(……ん?うん、平気だよ)
(有沢くんは、付き合ってる人いるの?)
(私は……どうなんだろう。自分でも、よくわからないや)
(有沢くん……私ね)
(……ううん、やっぱりなんでもない。ごめんね)
(そうだね。また学校で)
(有沢くん!)
(また、明日ね)
秋浜が言いかけた言葉を、無理にでも聞いてあげていれば……そうすればもしかしたら彼女は、死なずに済んだかもしれないんだ。
「ごめんよ、秋浜」
僕はそう呟くと、さっき圭介にやったように、目を閉じて手を合わせ、深々と頭を下げて秋浜の死を悼んだ。忍足地蔵が、その様子を黙って見つめている。
「俺には無しか、って顔だな」
僕は半ばヤケクソになったような気持ちで立ち上がり、忍足地蔵にも同じようにお祈りをした。困った時の神頼みとは、この事を言うのだろうか。
「あはは。有沢らしい」
見ると、先っぽにぼんぼりをつけた灰色のニット帽を被った来栖川が、折りたたみ式のオシャレな自転車に跨っていた。
「来栖川、なんで?迎えに行くって言ったのに」
僕は、呆れたように言った。来栖川は白のオーバーサイズのパーカーに、黒のパンツスエット姿で、首には薄手の黄色いマフラーを巻いている。私服の彼女を見るのは、もちろん初めてのことだった。
「ちょうど家を抜け出しやすいタイミングだったから」秋浜は自転車のスタンドを下ろしてから、人懐っこい笑顔を見せた。「もちろん、十分気をつけたわよ。有沢、ここを通るだろうから、ちょうど忍足地蔵まで来るつもりだったの」
確かに、ここのところの状況の最中に夜分家を出るなんて、家族が絶対に許すはずがない。うまく外へ行けそうな時に、出ておくのが無難だ。
「私も、拝んどくね」
来栖川は赤くなった鼻をすすりながらそう言うと、ポケットからキャンディーを出して、忍足地蔵の足元に供えた。
「お地蔵さんが、キャンディーなんて食べるかよ」
僕は思わず笑ってしまった。
「あら。気が利くね~って、思ってるかもしれないわよ」
口の中のキャンディーを転がしながらそう言うと、来栖川も忍足地蔵にお祈りを始めた。その様子を見ながら、僕がどうなったとしても、彼女だけは助けてあげてくださいよ、お地蔵さん。と、心の中で言った。
「……さ、行こうか。ねぇ、有沢もほしい?イチゴと、ブドウと、レモンがあるよ」
祈り終えると、手のひらにカラフルなフルーツキャンディを広げて、来栖川が言う。
「じゃあ、ぶどうにしようかな。ぶどう農家だから」
「ぷっ!……何それ、そうだったんだ」
来栖川は吹き出しながら、ぶどうのキャンディーを渡してくれた。僕は、その時第一の被害者である芦間さんが、自分の家が管理するぶどう畑のそばで見つかったことを思い出したが、あえて口にすることはしなかった。
「ブドウ、おいしいよね」
再び自転車にまたがりながらそう言った来栖川を見て、僕は、緊張感で張り詰めていた胸の奥が、少しだけ柔らかくなるのを感じていた。
街灯もない忍足中学校への坂道は思いの外真っ暗で、昼間に通る様子とはまるで違っていた。ガードレール脇から、いつ殺人犯が飛び出してくるかわからない。僕は、そんな風に想像をしながら、辺りを警戒しつつ歩を進めた。
「ねぇ。ここにさ」
しばらく黙っていた来栖川が口を開く。
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