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第一話
物心つく頃には、既に煌威に個人としての自由はなかった。
国の頂点に立つ皇帝の息子であり、更に長兄で皇太子という身分の人間はそういうものだ。そう、誰に聞いても一言一句違わず返されれば、不満があっても納得せざるを得ない。
煌龍帝国第二十七代皇帝である煌威の父には弟が一人いた。この場合、火種と言ってもいいだろう。
しかし、当の本人は皇弟という立場になんら不満を抱かず尽くす人間であった為、ありがちな皇位継承問題が起きる筈もなく今に至る。
帝国は世襲制だ。長兄が流行病で亡くなる等の不遇がない限り、基本は親から長子へ皇位は引き継がれる。
もし皇位継承問題が起きるとしたら、煌威の世代だと皆口を揃えるだろう。煌威にも弟妹がいる。
まず、すぐ下に文武両道の将軍になるだろうと名高い弟が一人。そして武事には弱いが、文事には強い次期丞相の器であると噂になる弟がいる。その下に武事に優れた妹と、文武は人並みだが傾国とも言われる容姿に恵まれた双子の妹が二人の六人兄妹だ。
皇帝である父親には、皇后である母親の他に二人の貴妃がいたので、武事に優れた妹以外は煌威にとって異母兄弟だったが。
だが、その弟妹が問題なのではない。優秀な弟妹がいるとしても、煌威自身に問題がないことは自他ともに明解だ。言ってしまえば、煌威は弟妹に遅れをとることもなく、文武両道で後継としても問題はないタイプの皇太子だ。
問題は、現皇帝である父の弟の息子である、煌威の出来すぎた従兄弟の存在だった。
文武両道の美丈夫。それだけならば、そこまで問題ではなかった。皇族として生まれた子供は皆、生まれた順番や皇位に関係なく幼少時からそのように育てられるからだ。そもそも長兄よりも優れた弟や妹、従兄弟が生まれる。そんなことは、この国で今まで幾度となくあった事態だ。
煌龍帝国の初代皇帝である焔帝は、天上の神である天帝が地上に遣わした赤龍だったと言われている。
まさか、本当に龍だったとは煌威も思ってはいないが、一説の証拠に相応しい言い伝えがあることは否定できなかった。
当時、今の煌龍帝国領土にあたる広河の傍にあった集落は、周辺諸国から溢れた難民が生活区域にしているうちに出来た村だった。
広河は文字の如く、広大な河である。当然のごとく、水害が多発していたらしい。度重なる大洪水で苦しんでいた集落の人間の前に、焔帝は突如現れた。
人の技とは思えない数多の治水を成し、一人で村を発展させていったその様は、当時の人間の眼にどれ程の奇跡として映ったことだろう。
焔帝はその後、難民に請われる形で皇位に着いたと言われている。自治体をとっていた、一つの難民集落でしかなかった村を国へと変えた。下手をすれば行く末は奴隷だった難民を、国民に変えたのだ。焔帝が神聖視されるのも無理はないことだった。
焔帝の人望は高かった。本来なら一生かかっても目にすることすら叶わない皇族である筈の焔帝の姿形が、庶民にまで広まり浸透するほどだ。今も焔帝の肖像画がお守りとして臣民の家には飾られ、神殿の中には焔帝の巨像が鎮座している。
現存する硬貨には、国を守護する龍の姿と焔帝の横顔が刻まれている。このことからも、どれだけ焔帝が龍神として信仰されていたか。今もどれだけ信仰されているか。想像するに容易い。
龍は天候を操り、その啼き声によって雷雲や嵐を呼ぶと言われている。また、竜巻となって天空に昇り自在に飛翔するとも言われる神獣だ。
龍には黄龍・青龍・白龍・赤龍・黒龍という数多の姿があるが、焔帝が赤龍だったという伝説があるのは、水害を治め国を統治した功績とあと一つ。その容姿にあった。髪と、瞳の色だ。
焔帝は、燃えるような深紅の髪と、黄金の眼を持っていた。
皇族は、その焔帝の色を必ずどちらか一方受け継いでいる。現皇帝の父とその父の弟である皇弟は紅い髪であり、第一皇子である煌威は金の眼だ。煌威の弟妹も、紅い髪か金の眼を持つ。その色素に深紅や赤銅、黄金や琥珀といった色彩の優劣があったとしても、紅と金、どちらの色も持たない皇族は存在しない。幾代にも渡りどんなに外の血が入っても、それだけは変わりない筈だった。
深紅の髪と黄金の瞳両方を持つ、従兄弟が生まれるまでは。
従兄弟は焔帝の生まれ変わりとも言えるその容姿から、紅焔と名づけられた。
本当なら、この煌龍帝国の名から取り『煌焔』と叔父が名付けたかったのを煌威は知っている。
それが許されなかったのは、紅焔は皇弟の三男であり、既に皇太子である煌威が『煌(龍帝国)の威(光)を示す』という、国から取った名を継いでいたからだ。
紅焔は、皇位継承権でいうなれば一縷の望みもない立ち位置だった。
最初はまだ、紅焔の誕生を皇宮内もそこまで問題にはしていなかった。まだ紅焔が、容姿が焔帝と同じだけならここまで問題にはならなかっただろう。成長するにつれ、紅焔が焔帝に似ているのは姿形だけではないことが判明していったことにより、その事態は不穏な空気を見せる。
容姿が焔帝と同じなのは皇族であることから先祖返りとし、文武両道なのは本人の努力次第であることから除外したとしても、奇跡と言える事象だけはどうにもならなかった。
紅焔は、水害に嘆く民からの要望に水路を切り拓き、堤防を築いて洪水を流すといった治水方法を学ぶこともなく示した。齢十を越える頃からは、領地の統治にも才を発揮した。紅焔は臣民からの人望も厚く、尽く周囲を驚かせるほどに焔帝を連想させた。
ここまで揃った傑物が皇族に生まれたのだ。いくら世襲制とは言え、紅焔を皇帝にという声が上がらない筈がなかった。
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