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第二話
煌威は、皇帝となる為に幼い頃から自我を封じられて生きてきた。すべてを国に捧げてきたと言ってもいい。
実際に、紅焔を皇帝に。と、擁する派閥が出来ても皇太子暗殺の危機にまで発展しないのは、少なくとも自分の人望もあるからだと煌威は自負している。
初めて煌威が紅焔と出会ったのは、地位がものを言う皇宮ではなく、武力がものを言う北戎との戦場だった。
煌威にとって、曾祖父の唐虞帝の代から続いていた、北方の遊牧民族である北戎との戦いの歴史は長い。
煌威はそれが三度目の戦で、二年後に成人を控えていて、紅焔の方はと言えば、まだ十一になったばかりの少年だったときのことだ。
馬が地面を蹴る土煙と鳴き声と、血の匂いが立ち込め渦巻く戦場は、たとえ成人を控えていてそれが三度目の戦となる煌威でも、決して慣れるものではなかった。そんな戦場では、誰でも十一になったばかりの少年を心配するだろう。しかも紅焔は煌威にとって、弟妹より歳の離れた従兄弟だ。自然と身体は、眼は、紅焔を探していた。
敵の血潮を浴びながら、曇る視界で紅焔を見つけた瞬間のことは、今でも何一つ余すことなく煌威の脳裏に焼き付いている。
相手の姿しか目に入らなくなり、周囲の音が消える。という夢心地な現象を、煌威はこのとき初めて経験した。
身体は条件反射で勝手に敵を仕留めてはいたが、少しの油断が命取りになる戦場で、敵でもないただ一人を見つめ続けるなど正気の沙汰ではない。
世界が、煌威と紅焔の、二人を残して消える――。その感覚は本来感じる筈だった恐怖よりも、甘く苛む感情が強く先ん出て、煌威の身体を包んだ。
まだ幼さの残る小さな子供には不釣り合いな、燃えるような眼光で北戎を薙ぎ倒すその姿は、十一の子供とは結びつかず、ただただその姿に煌威は圧倒された。
紅焔の視線が穿った敵から流れ、同じように敵を薙いでいた煌威に定まり、爛々と輝く黄金の眼が軽く見開かれた後、ゆるく細められる様さえ、煌威は……ただ見ていた。次期皇帝が何という様だと言われても仕方ない。
紅焔が、薄く笑った。
「さすがですね、殿下」
「……っ」
それは、ありきたりな賛辞だった。しかもまだ少年の高い声だ。それが煌威を賛辞した。
いや、正しくは賛辞と言える言葉かどうかすらあやしい。
だが、それだけで。その声だけで。当時の紅焔の、まだ鈴が鳴るような高い声を聞いただけで。
煌威は、まるで恋に落ちた少女のように、身体全体が心臓になってしまったかのような鼓動に震えた。運命を、感じた。
生の煌めきを感じる、生きる強さを持ったあの眼に、思ってしまったのだ。
第一皇子である煌威が。皇太子である煌威が。次期皇帝である煌威が。
この従兄弟こそ、皇帝に相応しい――と。この紅焔に、自分こそが仕えたい……と。
それは、煌威を次期皇帝と定めた父に対する裏切りで。煌威を皇帝にと推す、臣民に対する裏切りで。この国に対する裏切りだった。
許されないことだと分かっている。決して叶わない望みだと理解している。そう分かっているからこそ、煌威は渇望した。
紅焔を、皇帝としたい。
紅焔を、この国の君主として戴きたい。
紅焔を、唯一無二として仕えたい。
それは、自分が皇帝を辞退するだけでは無理な話だと煌威も分かっている。
煌龍帝国は世襲制だ。それは揺るぎない事実であり、変えようのないしきたりだ。紅焔は現皇帝の子ではなく、皇弟の子だ。紅焔を皇帝とする為に親兄弟を殺め彼以外の皇族を皆殺しにしても、血筋的に煌威が暴君として君臨することになるだけだ。
煌威が、彼を主として戴くことは叶わない――。
煌威が望むのは、皇帝として君臨する紅焔の足元に、自分が傅くことだった。
しかし、煌威がどんなに悲観し苦悩しようとも、年月はあっさりと過ぎていく。
北戎との戦も、停戦協定を結ぶことにより一時集結し、近々互いの血族から娘を差し出す、婚姻という名の不可侵条約まで決まった。
煌威にとっても妹の政略結婚に心が痛まないわけではないが、皇族に生まれたからには男だろうと女だろうと国を、ひいては民を守る義務がある。覚悟がなかったなど言い訳にすらならない。
成人するまでの二年などあっという間で、姿形ばかりが周囲から褒めそやされる、大人と呼ぶに相応しい出で立ちになっていく。
今年二十七になった煌威はもちろんのこと、二十になる紅焔の声は低く甘いものに変わった。その身体は煌威より大きく、みっしりと筋肉のついた武人と呼ぶに相応しいものになっていた。
皇位継承はまだ免れているものの、皇帝である父親の姿には白髪が混じり、明らかに世代交代の時期が訪れているのを、煌威だけではなく皆が感じていた。
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