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第七話*
ここ城陽は領主が住む城館を囲む内城と、都市全域を囲む外城に分けられた城郭都市だ。
しかし領主と言っても、正しく前線基地だった頃と比べ、領主は歴戦の武将ではなくどちらかというと文官で商人に近い。城郭都市として発展した街を見れば、自ずとその商才は見て取れた。
城館は城郭中心部に建てられた領主が住む城塞であり、城と呼ぶに相応しい面積を誇る。
建築はコの字型で、政策職務を担当する西館と軍事職務を担当する東館に分けられていた。両館を結ぶ回廊は、中庭を囲む造りをしている。その真ん中に、領主や皇族が寝食をする主殿を置いていた為、外から見れば回字形の建物になっていた。
――やはりおかしい。
三階建ての主殿から両館を結ぶ回廊と中庭を見下ろし、煌威は眉を寄せる。
あのとき、煌威は東館から西館に戻る途中だった。
曉炎に声をかけられ、西館に伸びる回廊から外れて中庭に降りたとき、そこはまだ東館よりとはいえ植えられた木々があった。投身で、中庭のあの位置に落ちる筈がない。助走をつけて跳んだ場合は煌威にも分からないが、身を投げるのに助走して跳ぶ人間はまずいないだろう。
あの位置は、第三者に投げ捨てられでもしないと届かない。それも男だ。男の腕力でなければ、あの距離は投げ捨てられない。
明らかに、北戎の娘は身を投げたんじゃない。自分の意思で落ちたんじゃない。落とされた。殺されたのだと煌威は確信する。
となれば、犯人は誰なのか。
主犯は曉炎に違いないが、本人はあのとき煌威や紅焔と一緒にいた。実行犯がいる筈だ。
曉炎に味方する臣下がいるということなのか。いや、何も知らない木っ端役人を使ったという可能性もある。
曉炎が主犯であるという証拠は、実行犯を捕まえない限りどうしようもなかった。
実行犯は誰なのか。その糸口すら掴めない今の状況では、八方塞がりだ。
煌威はため息をついた。
採光の為の、四角い空窓に両手をついて項垂れる。 通風が、うなじの後れ毛を揺らして流れた。
――とりあえず今やるべきことは、曉炎の拘束だ。そして、北戎に帝国は無実である主張と、主犯は曉炎であり尚且つ曉炎と帝国は無関係である証明だろう。
後は当時東館の警備についていた兵士の探索だと、煌威は思考を巡らせて、ふと視線を上げた矢先、
「煌威殿下ッ」
「……ッ!?」
突然、背後から左肩を掴まれた。と、途端走った鈍い痛みに煌威は息を詰める。
痛みで咄嗟に動けない身体を、左肩を軸に無理やり振り向かされた。
「お一人で! 歩き回るのは……おやめ下さい、と…っあれほど……!」
煌威は正面に息を切らせた紅焔の顔を見つけ、自分の後を追ってきたのだろうことは分かったが、なぜ左肩が痛むのか原因が分からず顔をしかめる。
「っ、申し訳ございません!」
煌威の顔つきから不興を買ったとでも思ったのか、紅焔は慌てて手を離して膝を折った。
跪く形で頭を下げる紅焔を見て、しかし煌威自身はジンジンと続く痛みにわけも分からず、どうしたものか迷い、左肩に視線をさ迷わせることしかできない。
一向に声を上げない煌威に、そろりと顔を上げた紅焔は訝しげに眉を寄せた次の瞬間、弾かれたように立ち上がった。
「……っ失礼します!」
「紅焔!?」
煌威の着ていた深衣の前を、紅焔は些か乱暴にわり開き、合わせていた襟を二の腕まで引き下げる。
「……っ!」
紅焔の愕然とした吐息に、まだ肌寒い気候の春の宵にも関わらず、煌威は熱くなっている肌を自覚した。痛みは、ジリジリとした熱に変わる。
視界が紅焔で埋まるも、目の端に赤く痣になっている自分の肌を煌威は見つけた。指の形まで分かるほど、はっきりとした痣の大きさにどこかで見たような既視感を受ける。
どこで……、と煌威は記憶を反芻して、目の前の行き場がなくなった紅焔の眼に、彼の腕に庇われたときのものだと思い到った。
北戎の娘から庇う為に、紅焔に掴まれた肩だ。
「……申し訳ございません、怪我をされたのかと……思ったのですが」
「ああ、いや、わたしも……すぐに反応できなくて……」
煌威の深衣を掴む紅焔の手が、衣に皺を作るほど強く握り締められる。
「これは……あのときのですね………咄嗟のことで、手加減ができず……申し訳ございません」
「あ、ぁ……?」
美しく輝く黄金の瞳に反し、眉根を下げ小さく謝罪してくる紅焔に、煌威は肩だけでなく頬まで熱くなるのを感じた。激しく、感情を揺さぶられた。
――これは、欲だ。
まさか、そんな。と独りごちる。
煌威は、紅焔を皇帝にしたいと思っている。紅焔に執着しているのは確かだ。
だが、この感情は違う。と、息を呑んだ。
紅焔は、ときたま無骨な男になる。気遣いができないと言えばいいのか。滅多に焦らない性格をしているぶん、焦ると礼儀作法が抜けるらしい。本来であれば失点ものだが、そこが好ましいと煌威は思っている。本当だ。
けれど、厳格で知られる紅焔が焦ると礼儀作法が頭から抜けるほど心配して優しくなることを、誰にも知られたくないとも思っている。紅焔の真実を知る者は自分だけでよいと思っている。紅焔という人間を形作るすべてが欲しいと思っている。自分だけのものにしたいと。
――これは、情欲だ。
「……っ!」
頭を鈍器で殴られたような衝撃が煌威を襲った。ガンガンと警告を発している。
「……殿下」
「こ、焔……っ」
こちらの思惑を、知ってか知らずか――。
紅焔の眼が、滴る蜂蜜のように妖しい光を湛えて煌威を見てきた。
ぞくり、と。
煌威の背筋を、悪寒に似た何かが走る。
「申し訳、ありません……」
再度、謝罪を口にした紅焔の腕が煌威の剥き出しの肩から二の腕を滑り、手首を掴んだ。
微かに肩に感じる重みは紅焔の頭で、掴まれた手首から紅焔の震えを感じ取る。
煌威は、紅焔の忠誠を疑ったことはない。逆に紅焔からの忠誠が心苦しかったくらいだ。だからこそ動揺した。
肩に触れた紅焔の唇。
これは、忠誠の口づけではない。
――では、何だ。
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