それは現実のようで、ただの物語のような

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それは現実のようで、ただの物語のような

「私、杠葉紬(ゆずりは つむぎ)は恋をしている」 手にしていた星の飾りがついたシャーペンを置いて、筆記用具と一緒に机へ並べておいたポータブルカセットプレーヤーに手を伸ばす。 イヤホンをして椅子の背もたれに寄りかかり大きく伸びを一つ。そのまま再生ボタンを押せば、軽やかにピンチローラーが回りだした。するとポータブルカセットプレイヤーの中でテープがクルクルと踊りだす。 母からすれば懐かしいものなのだそうだが、私には目新しく格好良いアイテムに見えた。 流行やデザインは二十年周期で繰り返すという言葉を裏付けるようなそれを、私は大切な宝物のように何度も繰り返し聞き続けている。 テープの始まり、しばらくの無音の後に聞こえてきたのは音楽ではなく、絵本を読み聞かせるようにゆっくりと言葉を綴る男性の声。 『……前回は渦巻銀河の渦巻きについての話をしたんでしたよね?じゃあ、今回はちょっと話を変えてプレアデス星団の話にしましょう。今の時期は丁度、プレアデス星団が見られるんですよ。プレアデス星団っていうのは冬を中心に見られる青白い光を放つ五から七を中心とした星の集まりで、肉眼でも綺麗に見えるんです。僕はその美しい星達が仲良くぎゅっと集まっている姿が好きでして。本当は君と一緒に見られたら良かったんですが……』 まるで今電話越しで話しているかのようなその声は、印象に残るような低い声とは裏腹に人の温もりの感じられて優しい。人柄が滲み出ているような声というのは、まさにこういった声のことを言うのだろう。 淡々と語られていく音声メッセージにはたまに猫の鳴き声が混じっている時もあって、メッセージを吹き込んでいる時の状況をリアルなものに感じさせてくれる。 お気に入りのカフェの窓際、夜空を眺めることの出来るこの席で。受験勉強の合間の休憩にこのテープを聞くのが私は好きだった。 『……プレアデス星団という名前はギリシャ神話が由来で、日本では昴、中国では昴宿(ぼうしゅく)ニュージーランドの先住民であるマオリにはマタリキって呼ばれています。同じ星を見ているのに、それぞれの国で作られた星にまつわる物語は様々で、そんなところも星の面白さの一つなんです。ああ、長話になってしまってすみません。君がいつも楽しそうに僕の話を聞いてくれてたからつい……おっと、ミィ?メッセージを録音しているから、ちょっといい子にしててね……』 途切れた声の後ろで、喉元を撫でて貰って満足そうなゴロゴロと喉を鳴らす猫の声が聞こえてくる。そんな微笑ましい様子が脳裏に浮かぶようで、私は思わず笑んでしまうのだ。 電話でのやり取りではそう言った小さなことまで気が付くことは出来ない。何度も繰り返し聞くことが出来るカセットテープならではの、これはちょっとだけ特別な楽しみ方。 『……あ、ミイは君が引っ越してしまった後に、神社の境内で捨てられていた所を拾った猫なんです。だから君は初めましてですね。今度、是非会いに来てあげて下さい。そう言えば、そろそろ春休みもあけて新学年になるけれど、転校先の学校は見に行きましたか?もし君が、これからのことを不安に思ってても、貴方なら絶対に大丈夫だから。自分を信じられなかったら僕を信じて?ね?それじゃ、またね。鈴乃さん……』 鈴乃さん。 そう。このテープは私ではなく祖母の鈴乃に宛てられたもの。 私が中学生の頃に亡くなった祖母。 遺品整理をしていた時に見つけた何本ものカセットテープは、CDとデジタル配信で育った私を大いに惹きつけ、母に頼んで形見分けをして貰ったのが事の始まり。 どんな曲が入っているのだろうと再生したラベルの無いテープが、まさか祖母とのメッセージをやり取りしたものだなんて思いもしなかった。祖母の若い頃なら普通に電話も存在するし、文通だって良い筈なのにと不思議に思い母に尋ねると、メジャーでは無いものの昔は文通のようにカセットテープでメッセージのやり取りをするようなことが一部の人達の間では流行っていたのだとか。 肝心の声の主、薫さんからのメッセージが入った何本ものテープは、父が亡くなり母の実家へ戻ることになった祖母を気遣い励ますような内容と、様々な星座の話が吹き込まれていた。 それは転校先で祖母が心細くないように。何度も聞き返せるようにと、そういった意図もあってのことだったのだと、繰り返し聞いている内に気がついた。 ただ、祖母を励ます内容のテープであったなら、私は今ごろ必死に受験勉強などしていなかっただろう。 テープの中で語られていた、祖母が好きだったという星の話の中には、望遠鏡が発明される前には彗星などは天からの攻撃だと思われていたことも有ったという今では考えられない話や、もしかしたらダイヤモンドで構成された星が存在するかも知れないという子供心を擽るような不思議な話もあり、それらに私は魅了されたのだ。 祖母の残したテープは私にとっての図書館。天文の大辞典だった。 それをきっかけに天文学に魅了された私は、理学部天文学科のある大学に行く為に猛勉強をしている。 「さて、もうひと頑張りしましょうか」 イヤホンを耳から外し窓越しに見上げた空は、すっかり闇を濃いものにしていたけれど、薫さんが好きだと言っていた昴が彩りを添えていて綺麗な夜空を演出していた。 私が天文学の魅力を知るきっかけを作ってくれた薫さんは、どんな人だったんだろう? もし今も、会うことが出来たなら星について語り合うことは出来たのかな? 出来たら会ってみたかったな…… ふと、そんなことが頭の中を過ぎることがあるけれど今となっては叶わぬこと。それは考えても仕方のないことで。 思考を切り替えようと珈琲カップに口をつけると、中身がからからに乾いていて空っぽだったことを思い出す。 「ああ、もう……」 出鼻をくじかれ、意気消沈しながら追加の注文をする為に席を後にした。
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