一時の狂気、永遠の愛

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これじゃない、と思いながら仕事している。 研究者の仕事とは、本当にこれで合っているのか。 他の種族をガラスケースの中に閉じ込めて、ゆっくりと死ぬのを眺めていることで。 私は今回、昼の民の少年の観察を任された。 昼の民というのは、この惑星の居住可能区域、トワイライトゾーンの少し外側に適応した人種の一つである。常に恒星を向いた昼の面側に居るのが「昼の民」で、彼らは暑さと紫外線に強く、長寿である。その上、体内の水分と栄養分を循環させることにより、長期間飲まず食わずで生きることが出来る。まぁ、その体質のせいで彼はこれから殺されるのだが。 今回の実験は、その飲まず食わずで生きられる期間を調べることが目的だ。つまり、彼がゆっくりと餓死していくのを観察するのである。 悪趣味だとは思う。昼の民を初めとする少数民族を捕まえては、私達夕の民は様々な実験をする。しかし、それは元々の目的、夕の民の寿命を伸ばすことと直接関係があるとは思えない。結局、私達の約3倍生きられるこの生き物が死ぬのが見たいだけなのかもしれない。どうしてこの奴隷より、私達夕の民は早く死なねばならないのか。 最も、それを私が言ったところで何も変わらない。私はこの研究所から金を貰って生きている立場なので黙って仕事をする。ただ観察をすればいいだけだから、今回の仕事は簡単だ。だから出来るだけ彼には長生きして欲しいな、なんて身勝手なことを思う。 白い研究室を、分厚い強化ガラスが二つに分けている。ガラスの向こう側に居た浅黒い肌の少年は、少年というよりは青年で、長めの黒髪から赤い瞳が覗いていた。 私は、その瞳に少し驚いた。 昼の民を、見たことがなかった訳では無い。しかし、「彼」は今まで見た昼の民とは違っていた。 私が見てきた彼らはいつも、私達を睨みつけているか、虚ろな瞳をどこかに彷徨わせているかだった。それなのに、彼は私を視界に入れた途端、ほっとしたような、柔らかい視線を寄せてきた。 前任の彼の担当者から、引き継ぎ作業を受けている間、ずっと寄せられているそれに、私はどうも落ち着かなかった。 前任が部屋を出て、私は研究室の角のデスクで彼のデータを整理する。飲まず食わずで過ごせる期間を見るための実験体だから、大したデータの量ではなかった。ここに連れてこられて間もないらしく、身体データと今朝腹一杯食わせた物のデータぐらいしかなかった。デスクの前の壁掛モニターにそれを表示させておく。 いつの間にか彼は、向こう側の隅からガラスの前まで移動していて、ガラスの嵌っている土台に頬杖をついてこちらを見ていた。じっと見てくる赤い瞳に、どちらが観察対象か分からなくなってしまいそうだった。 しばらくして、彼はにっこりと笑う。こんなところに閉じ込められて、これから殺されようとしているのにどうしてそんな顔が出来るんだろう。 昼の民と夕の民の言葉は違う。一応私は学校で昼の民の言葉を齧りはしたが、奴隷という立場のネイティブスピーカーに教えを乞うたはずもなく、彼との会話にはそこまで役に立たなかった。 本来、実験体との会話なんてしない。 ないとは思うが情が湧いたら困るし、基本的に意味が無い。 しかし、今回の実験はあくまで飲まず食わずで生きられる長さを知ることなので、彼に他のストレスは出来るだけ与えない方がいい。 昼の民は寂しがり屋で、孤独に耐えられない生き物なので、仕方なくだ。 決して彼があまりにも話しかけて来るからでは無い。 にっこりと笑みを浮かべたまま話し続ける彼に、私は今すぐ帰りたかったが、勤務時間中は彼に張り付いてなければならないので諦めて聞くことにした。 電子辞書を引きつつ分かった彼の最初の言葉は、 「一目惚れしました。僕と結婚してください」 思わず「はぁ?!」と怒鳴りつけると、彼はけらけら笑いながらも「本当だよ、信じてよ」と言うので、どうしたものか。 彼は自分の置かれている立場を分かっているのだろうか。私は分かっている。恐らくこの惑星史上初めて実験体にプロポーズされた研究者だ。 もちろん受ける気なんてないし、仮に受けたところで叶わない。彼はこのままここで死ぬのだから。だから、会話は夕の民の言葉を使うようにした。はっきり言うと嫌がらせだ。いちいち私に調べさせて意味を聞かねばならない手間のかかる会話に、彼が諦めてくれるように。 しかし、彼は会話を重ねる中で、めきめきと夕の民の言葉を覚えていった。だから会話量は却って増えてしまった。聞いてみれば、「君のことをもっと知りたいと思ったら自然と覚えた」だそうで。まこと愛の力恐るべし。 しかし、どうやら影響されたのは彼の方ばかりではないらしい。私の方も昼の民の言葉どころか昼の民の文化に無駄に詳しくなってしまった。無駄にエネルギー消費したら早死にするのに、彼は昼の民の歌や踊りを見せてくれた。狭いガラスの向こうの中、薄っぺらい研究服で踊られたその踊りは、とても綺麗だった。 電子辞書のバッテリーがついに壊れた。彼との会話量を改めて痛感する。私はコロの付いた椅子で彼のいるガラスまで近づいて、彼はガラスの土台に頬杖をつく。そんな状態で会話をするのが当たり前になった。しかも一日話し込んでしまって、今まで頑なに守っていた定時退社もしなくなっていた。滅多に壊れることのないバッテリーを壊したことで、流石にこの習慣を正そうとしたが、駄目だった。 研究室に入ったらそんなこと忘れていつも通りだった。 ところで、明日で彼がここに来てから三ヶ月になる。何かお祝いとかした方がいいかな、ケーキとか作ってみるかな、いや、食べられないんだった。流石にそこは気を使った方がいいな、明日から水筒も持っていくのはやめよう。 忌まわしいガラスのせいでお祝い出来るものが限られてしまった。徹夜で準備した結果、彼が教えてくれた昼の民の歌になった。歌なんてろくに歌ったこともないし、彼と違って未だに昼の民の言葉は片言だったけれど、彼は随分と喜んでくれた。四ヶ月目には、何をしよう。彼に聞いたら、考えておく、と言われた。 それと、水筒を持ってこないのを叱られた。夕の民は水を頻繁に飲まないと死んでしまうだろ、と。別にそんなことは無いのに。 ふと、そこで思う。昼の民は、本当に飲まず食わずで大丈夫なんだろうか。 同僚に、最近明るくなったな、と言われた。 やっと彼氏でも出来たか、と聞かれる。 確かに、15歳はそろそろ行き遅れだ。不味いな、と思いながらもその話を彼にしてみると、そもそも15歳には見えなかったらしい。昼の民と夕の民の15歳が大きく違うのは知っていたが、なんだか老けて見えると言われたようでイラッとした。 「……15歳でもう行き遅れなのか、僕のところじゃまだ子供だけどな…」 私達夕の民は、大体30歳が寿命だ。そのため、他の民に比べて成長が早い。大体10歳で学校を卒業し、仕事に就く。しかし身体が完全に大人になるのは15歳辺りなので、大体の夕の民は子供を育て上げるために15歳でもう子供を産んでいる。つまり、15歳でまだ結婚していないと厳しい物がある。行き遅れだ。私はそういうことに興味が持てなくて、だらだらと定時退社に勤しんでいた。もう亡くなってしまった両親も、草葉の陰で泣いているかもしれない。しかし、今更結婚は無理だろう。器量も良くないし。実験体とはいえ、プロポーズされた経験はあるのでそれで良しとする。 「まぁ、君は美人だし優しい人だから探せば見つかるんじゃないかい、いい人」 「自分でプロポーズしておいてそういうこと言うの?」 「だからこそだよ、僕が一番君のいい所を知ってるんだから」 出会った日のような微笑みを浮かべて彼は言う。 「幸せになってね」 彼は、自分の運命を知っているのだろうか。 それとも、私が彼を振ったことになっているのだろうか。返事はまだしていないのに。 昨日の彼の言葉を、一晩中反芻した。 そして、いつも通り研究室に入ると、彼は定位置でぐったりしていた。 昨日の答えが降ってきた。 彼は知っていたのだ。 他の昼の民がどんな扱いをされているかは見てきているはずだし、仮にここに来た時知らなかったとしても、私が夕の民の言葉を教えたのだ。うっかり外の声でも聞こえていたら、嫌でも知ってしまうであろう。 ガラスを叩いて彼に「大丈夫?」と聞くと、彼は弱々しくも微笑んで、また眠ってしまった。 大丈夫な筈がない。もう彼が絶食して四ヶ月になる。動ける状態のまま、ポックリ逝く訳でもないだろうとは思っていた。徐々に弱っていくのだろうと。 このまま彼は死ぬんだろうな、と理解する。 いつか来ることだった。むしろ、絶食四ヶ月まで動けることが分かったというのは驚くべき研究結果だ。 あとどれくらい持つんだろうな、ちゃんと死ぬとこ見とけよ、と上司は言う。 彼がただの実験体だって分かっていた。会話したのも、彼に余計なストレスを与えない為だった。昼の民ごときに、情なんて持ってない。 それでも、研究室でぐったりとしている彼の姿を見ると、心臓が締め付けられるように痛いのだ。 臨終の時を確認するために、私は今日から研究室に泊まることにした。 その夜は眠れなかった。臨終の時はまだだと思うし、今日は寝ても大丈夫そうなのだが。 今日から泊まる、と言うと、彼は私を心配しながらもいつにも増して嬉しそうだった。 その状態で、彼は思っていた以上に長く持っていた。 泊まるようになってから、私が常に居るようになったからか、彼の機嫌は良かったし、むしろ少し元気になった気がした。 たまに起きて、会話を交わす。これが終わる時が来ることが、私はとても怖かった。 ある夜、いつもより調子が良いらしい彼が、独りでに語り始めた。 「……僕ね、最初からこうなること知ってたんだよ」 「こうなることって?」 自分の震えた声が思ったより響いた。 「僕がここで死ぬこと」 答えを知っていた癖に、聞いた私が馬鹿だった。心臓が吐けそうなくらいの私に、彼は言葉を続ける。 「でもね、僕は君を見た時、それでもいいって思えたんだよ」 「なんで」 「こんな素敵な人に看取ってもらえるなら、僕は幸せだなぁって」 ほんとに一目惚れだったんだよねぇ、と彼は微笑む。 「だから、僕は幸せなんだよ。君は気に病む必要なんてないんだよ、ありがとう」 そう言って、言いたいことは言い切ったとばかりに彼はまた眠ってしまった。 「馬鹿みたい」 たかが一目惚れ一つで幸せだと言える彼が。 約六ヶ月でここまで落とされてしまった私が。 多分彼はもうすぐ死ぬ。 研究結果は出た。動けるのは四ヶ月、生きられるのは六ヶ月。 もういいじゃないか。 彼を看取って、それから残り15年、私が生きられるとは思えない。そんな想いを抱えて生きられない。 私は研究所の管理室に向かう。 管理室には、研究室のあのガラスを開けるコードと、栄養剤があるはずだ。あれを使って彼を出せば、私は間違いなくお縄になる。それでもいい。たかが私の人生残り15年、彼が死ぬよりはマシだ。 管理室を自分のコードで開ける。真夜中の不正アクセスに、アラームがなる。時間が無い。栄養剤はすぐに見つかった。それを白衣のポケットに突っ込んで、コンピューターの膨大なデータの中からコードを探し出す。遠くから足音が聞こえてくる。あった。12桁のパスワードを気合いで覚える。走り出す。 廊下の端に懐中電灯を持った人影が見えた。私はそれでも何とか研究室に滑り込む。壁掛けモニターにコードを入力すると、ゆっくりとガラスが持ち上がり、彼との隔たりが無くなる。大きな足音がすぐ近くまで来た。不味い。のろまなガラスの隙間に手を突っ込んで、彼に栄養剤を注射する。びっくりして起きた彼だが、すぐに飛び起きるほどの力は残ってない。しかし、この栄養剤ならまもなく走り出せるようになるだろう。 注射が終わるか終わらないかのうちに、研究室のドアが突破される。私はそのまま警備の男達に取り押さえられる。 「逃げて!」 彼に叫んだところで、首に強い衝撃。私が最後に見たのは、彼が私に手を伸ばす姿だった。 「……起きた?」 目を覚ますと、眼前に彼が居た。 とりあえずうん、と頷くと、あぁ良かったと彼に抱きしめられる。私より少し大柄な身体が優しく抱きしめてくれるが、私は状況を理解できない。 彼の肩から見える景色は、白い研究室なんかじゃなくて、暗い、しかし少し赤く染まったトワイライトゾーンの路地裏だった。 「もう無茶なんてしないでよ」 溜息をつきながら彼は私をそっと離す。 「君が倒れたあと、君を抱えて全員を巻くのはなかなか大変だったんだからね」 寝起きだったし、と彼は続ける。 まさか、回復させたのは私だけれど、ここまで出来るとは。私は驚きを隠せない。顔に出ていたらしく、彼は得意げに笑う。 「でも次は一緒に逃げることを考えて欲しいね」 「……心配しないで、今から考えないといけないから」 研究所から逃げ出した昼の民と、研究所を裏切った研究者。 これからもずっと追いかけられることになるだろう。 「……君の家は?」 「多分もう差し押さえられてる」 「……そうか…」 僕を助けるために申し訳ない、ごめんね、と言おうとしたであろう彼の口を塞ぐ。 「とりあえず、あなたをトワイライトゾーンの端まで送るわ。その後、あなたは昼の民の村に帰ればいい」 「は??」 初めからそのつもりで私は彼を逃がしたのに、彼は真顔でキレる。 「どうして君を置いて僕が帰らないといけないんだい?」 「いや……」 私は夕の民だから、昼の面には住めない。かと言って、トワイライトゾーンでは一生追われる身だろうし。 ましてや私は捕まっても普通に刑務所に入るだけで済むけれど、昼の民である彼はそうもいかないだろう。逃げおおせても、奴隷として扱われることだってあるかもしれない。 「君は、僕のこと嫌いかい?」 「……嫌いな奴を、わざわざ逃がしたりすると?」 愚問に答えれば、彼はふんにゃりと笑顔を浮かべて、私の手を握る。 ああ、やっと触れることが出来た、と呟いて、 「一目惚れでした。僕と結婚してください」 二度目のプロポーズに、私はもうなんかこの現状とか、全てがどうでも良くなってしまって、 「……残り15年、よろしくお願いします」 ああ、幸せってこういうことなんだ。 15年後、私が死ぬ時、彼がそばに居てくれるなら何でも良いと思った。
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