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「猫騙し」なんて技、猫は使いませんよ。
あれは人間同士で使うものだから、人間騙しですね。
私は猫だ。
齢にして2歳。
2カ月ほど前から女子高生に化け、「伊端 珠」という名前で人間の学校に通っています。
理由は、楽しそうだから。
文化祭も無事終わり、12月。
私たち1年C組が開いた「魔女カフェ」はおかげ様で大盛況。なんと学年の中では動員数1位だったようで、吉岡さんも田中さんも凄く喜んでいました。
お客さんの嬉しそうな顔を見るのも楽しかったですが、やっぱり一緒に頑張った仲間が喜んでいるのを見られたのも幸せですね。張り切った甲斐がありました。
ただ、当日はずっとC組で働きづめだったので、他のクラスや部活の出し物を見回れなかったのが少し心残りです……。夢中で働いていたら、いつの間にかどの出し物も終わってしまっていて。
特に2年生や3年生の先輩方は、毎年クラスバンドや演劇などとても素敵な出し物をされると聞いていたので、是非見ておきたかったなあ……というのが正直なところ。来年はうまく回れるよう、頑張りたいです。
といっても、まだ部活に入っていない私は、知り合いの先輩などがいるわけでもないのですが……。
* * * * *
注意すべし。要注意すべし、伊端珠。
彼女の何が、文化祭で1年C組を成功に導いたのか。
私の名は小早川菫。
2年B組の文化祭実行委員にして、女子バレー部のキャプテンである。
先日行われた文化祭。私たちにとっては2度目となる催し。
青春の1頁として刻み込まれるはずのこの催しは、私の学園生活における正念場である。
我々2年B組はクラスの出し物として「純和風喫茶」を企画。着付けから内装、メニューに至るまで苦心に苦心を重ね、半年前から準備してきた。
結果としては、動員数において学年8クラス中3位という悔しい結果に終わったが、来年に向けての起点としては悪くない。2年生から3年生に上がるタイミングではクラス替えが無いので、同じ喜びと悔しさを経験したこのクラスのメンバーでまた頑張れるはずだ。
しかし、そこで1つ大きな障害があることに私は気が付いた。
1年C組の存在である。
私は文化祭実行委員としての立場を利用し、各クラスの出し物ごとに動員数の詳細なデータを手に入れ、分析した。その結果、驚愕の事実に辿り着いた。
私たちの「純和風喫茶」は、同じ飲食系の出し物の中では、動員数において1年C組の「魔女カフェ」に僅差で負けているのである。
動員数による順位は出し物のカテゴリーに関係なく学年ごとのランキング形式で発表されるため、私の行きついたこの事実を知っている者は少ない。しかし、来年も引き続きクラスの実行委員を務めるであろう私にとって、これは死活問題だ。1年生のクラスに負けていたという事実を知った私は、パソコン画面を前にしばし呆然と立ち尽くした。隣にいた同級生に「猫騙し食らった力士みたいな顔してるよ」と言われたので、そいつは蹴飛ばしておいた。
女バレにいる1年C組の後輩に話を聞いたところ、どうやら1年C組には看板娘とも言うべき存在がいたらしい。
それが、伊端珠だ。
10月頃に新しく入ってきた転校生。既にクラス内外に男女問わず多くのファンを作っているらしい。
先の文化祭では彼女のコスプレ姿が多くの来場客の目を引き、動員数へ大いに貢献したという。
伊端珠。彼女の存在は、来年の文化祭において非常に脅威となりうる。
彼女の素性を調べておかねば。そして今の1年生が2年生に上がる時点でのクラス替えで、彼女が配属されたクラスを確認し、その動向を入念にチェックしておかねばならぬ。
ただ現状、私は彼女と面識がない。
まずは彼女を知る必要がある。
そういうわけで私は今、1年C組がある廊下の脇、柱の陰に隠れてこっそりと偵察を行っているのである。
時刻はお昼休み。
右手にコッペパン、左手にいちご牛乳のパックを携えながら1年C組の扉を見張る私はさながら、張り込み中の刑事。
私から滲み出る異様なオーラの前に、何人かの1年生は私の方をチラ見しつつ気持ち遠ざかりながら歩いていくが、気にしない。部活でも厳しいキャプテンとして後輩たちに恐れられている私にとっては、日常茶飯事だ。
伊端珠はまだ現れない。呼び出しても良いのだが流石に面識のない上級生に呼び出されたら警戒するだろうし、そもそも呼び出したところで話すことがない。私はただ彼女がどういう人物であるかを遠巻きに観察し、対策を立てたいだけだ。なので伊端珠と思わしき人物が出てきたらそれとなく動向を見張り、こっそりと後を……。
「……ふ、ふぇ」
あ、やばい。
「ひっくし」
くしゃみ出ちゃった。いちご牛乳を口に含んでいなくて助かった。
誰かに噂でもされているのだろうか? ……だが今のくしゃみの感覚は、どちらかというと……。
「あ、スミー先輩」
突然後ろから声を掛けられ、肩が跳ねた。見ると、女バレの後輩にしてまさに今回の情報源である、1年C組の吉岡が立っていた。
「よ、吉岡……あんたどこから来たの」
「どこからって、外でお弁当食べてたんですよ。戻ってきたら柱の陰から可愛いくしゃみが聞こえたから、もしやと思って」
「可愛いって言うな。……お弁当ってあんた、1人で?」
「いえ、この子と」
そう言って振り向いた吉岡の後ろに、新たな人影。
長い髪に清楚な雰囲気。部室で吉岡に見せてもらった写真の、まさにその人物である。
……とすると間違いない、この子が。
「は、初めまして……伊端です」
なんてことだ。鉢合わせてしまった。
「珠ちゃん、この人は女バレの菫先輩。見た目怖いけど、さっきのくしゃみの通りちゃんと乙女な優しい先輩です」
勝手に私の紹介をする吉岡。ど、ども……とたどたどしく挨拶をする私。
「へえ~そうなんですね! 御嶽澤先生みたいですね~」
「確かに、ギャップ萌えという点ではキョーコちゃんに勝るとも劣らない」
「ちょっと、あんなヤンキー教師と一緒にしな……ふぇ、」
また来た。
「ふっくし」
「ほら~またそんな可愛いくしゃみを……反則ですよ先輩」
「いや、好きでやってるわけじゃ……へっくち」
やはり、何かおかしい。この突然のくしゃみの連発状態は、まるで……。
「大丈夫ですか? これ、よろしければ……」
と差し出されたのは、伊端珠の白く細い手に握られたポケットティッシュ。
……むむ。優しい。
「……ありがとう……ずずず」
「それで先輩、こんなところで何してたんですか?」
吉岡に聞かれ、答えに詰まる私。むずむずする鼻。まっすぐ見つめ返して来る、1年生女子2人の純粋な目。
私は黙って、踵を返した。
「帰る」
「え、ちょっと」
私は食べかけのコッペパンを握りしめ、一目散にその場から去った。
不覚。あんなにコンディションの悪い状態では、偵察もままならない。何より1年生女子と部活以外の場所で面と向かって話すのは、正直恥ずかしい。
鼻のコンディションが良い日に出直すしかない。その日まで首を洗って待っているが良い、伊端珠。伊端珠め。
……おのれ、可愛いじゃないか。
へっくち。
* * * * *
「大丈夫ですかね……? 具合でも悪いのでは……」
去っていく小早川の背中を見て、心配そうな顔の伊端珠。
「あー大丈夫。あの人、部活以外だとめっちゃシャイなの。そこもまた乙女なポイントではあるんだけど」
「でも、凄くくしゃみをされていましたが……」
「あー、それは多分ね……」
目が泳ぐ吉岡。そこでちょうど授業開始5分前の予鈴が鳴ったため、2人は慌ただしく教室に入っていく。
吉岡は言えなかった。
小早川薫が、猫アレルギーであるということを。
彼女が伊端珠とまともに話せるようになるのは、もう少し後になりそうである。
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