3、朝のランニングで

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3、朝のランニングで

夏休み2日目の午前6時。 「ふぁ〜あ」 咲希はあくびをしながらマンションから出てきた。 服装は、昔買ったランニング用のピッタリしたスポーツウェアである。着る前はサイズが合わないかとヒヤヒヤしたが、ちょうど良かったので一安心だ。 それから、なんとなくイメージで軽く腕やアキレス腱を伸ばしウォーミングアップをする。 服にしろ準備体操にしろ、『朝のランニングしてる人ってこんな感じかな〜』という憶測だけで行っている。まあ、素人なんてこんなもんだろう。 「よし、じゃ行きますか」 咲希はそう小声でつぶやいて、昨日スマホを捨てた橋をゴールに走り出した。 (ランニングなんて何年ぶりだろ? そもそも運動のために外に出ることが少なかったからなあ。これも何日続くかどうか……) そう考えながらも、走っているうちにあたりの風景は少しずつ変わっていく。 電信柱の上のカラスだったり、小さな薄紫の花であったり。普段は気にもならない存在が目に止まり、いつもの町から何かが違うパラレルワールドに来た気分になる。 スピードはほとんど歩いているようなものなのであまり苦しくなく、人通りもまばらで、同じようにランニングしている人もいた。 しばらくコンクリートの道を一定のリズムで走っていると、だんだん向こうの方に昨日の橋が見えてくる。 正式名称が刻まれた銅のプレートがついているけど、ところどころかけていて正確には読めなかった。 速度を落とした咲希は、そのプレートの前にに顔を近づけると、 「き……んん? き、なんとか、ん橋かな」 「奇縁橋」 突然後ろから中低音の声が降ってきたので、咲希は驚いてパッと振り返る。 そこには黒髪で背の高い青年が無表情で立っていた。 「きえん……?」 「そう。奇縁」 「へえ……そうなんだ」 はじめは男性かと思ったが、話し方の感じとか雰囲気とかから、この人は女性であることがわかる。 咲希は思わす顔をまじまじと見てしまった。 (爽やかイケメンって感じ。バレンタインとか友達からたくさんもらう側だっただろうな。今だって一発で女性ってわからなかったし) まあ、今の時代どちらでもあまり関係はないけど、なんとなくそこらへん区別したくなってしまう。 これは時代遅れの考え方なんだろうか。 「何?」 あまりにもじっと観察していたので変に思われたらしい。 咲希は慌てて視線をそらすと、 「いや〜。かっこいいお顔だなって。あ、ごめんね。赤の他人にいきなりこんなこと言われたら気持ち悪いよね。ついつい思ってること口に出ちゃって」 あはは、と頭の後ろに手を当てる。 するとその人は諦めのようなため息をついて、 「別に。慣れてるし」 その言葉を聞いて、咲希は目を丸くする。 「な、慣れてるの?」 「まあね」 「どうして?」 「……」 そこで黙られてしまい、咲希は不躾な質問だったと後悔した。 (初対面でこんなにズケズケ踏み込むのはまずいって……) いつも漫画のように時間が戻る能力があればと思う。それさえあれば、人に迷惑をかけずに済むのに。 でも、 「今ここでその質問には答えられないけど、この後の用事を手伝ってくれるなら教えてあげられるから。どうする?」 突然その人は咲希の目をまっすぐ見ながら不思議な提案をしてきた。 (急だな……) そのいきなりの展開に困惑したが、さっきの答えも知りたい咲希は、とうとう好奇心が抑えきれなくなって、気づいたら首を勢いよく縦に振っていた。 「いきたい!」 「……そう。じゃあ、1時頃にここに来てくれる? 動き易い格好で」 「わ、わかった」 「それじゃ」 そう簡潔に伝え、その人はさっさと反対方向に歩いて行ってしまった。 (え、それだけ? なんなの……) 川辺の小鳥がさえずり、頭上にはからっと晴れた透明な空が広がっている。 残された咲希はあっけにとられ、しばらくぽかーんと橋の上に立ち止まっていた。
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