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1、夏休み初日
どこまでも青く澄んだ空に、飛行機雲がつーっとのびている。
そよ風が優しく咲希の頬をなでて、眼下の川辺の草が海の波のようになびいていた。
(ここは散歩にちょうど良さそうね。知らなかった。明日から毎朝ランニングでもしようかな)
橋の上にいる咲希は目を細め、日の光を反射してキラキラと輝く川面を見つめていたが、やがて肩掛けの使い込んだバックからスマホを取り出した。
それからしばらく無表情でスマホを眺め、黒く艷やかな画面を惜しむように指でなぞっていたが、ついに意を決したようにぎゅっと右手で握りこむと、
「よしっ!」
と、短い掛け声をかけて川に端末を放り投げた。
すっと真下におちて行ったスマホは、ボチャっという思ったより大きい音をたてて入水し、あっと言う間に見えないところまで消えてしまった。
(あーらら……)
これで友達と簡単に連絡もとれないし、写真も残せない。そのためには別の媒体を探さなくてはいけないだろう。
まるでスマホの広告のうたい文句をぜんぶひっくり返したような未来だ。
『メッセージのやり取り、記念写真はもちろん、調べものも万歩計も漫画アプリだって無いプラン。でも今なら月々ゼロ円! おトクです!』
ちなみに家には壊れたパソコンしかない。
しかし、そんな便利だったスマホの最後の勇姿を見届けた咲希は、なぜか後悔するどころかむしろ晴れやかな表情でぐっと伸びをすると、軽やかな足取りで来た道を引き返し始めた。
川に魚釣りに来たおじいさんがすれ違いざまに何事かと咲希を振り返ったが、スキップをしている咲希は全く気づかない。
(ま、なんとかなるっしょ!)
咲希は青空を見上げ、ひとりでふふっと笑った。
これが能天気な咲希の『スマホ無しライフ』の幕開けである。
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