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最終話 最後の贈りもの
その後、数か月間、ミナミくんと私は痴話喧嘩を繰り返した。
互いに思わせぶりな発言で相手を怒らせたり傷つけたりして、まだ相手の気持ちが自分に残っていることを確認して、安心する。
『大好きだけど、この人とは同じ道を歩んでいくことはできないんだ』と、頭では理解していたけれど、心が受け容れるのに、少し時間が必要だったのだと思う。
『お互いに好きで、うまくいく』ことよりも、『お互いに好きだけど、うまくいかない』ことのほうが、恋愛では多いのかもしれない。
何度目かの喧嘩の後、切なさでぼうっとした頭と、泣き腫らした目で私は考えていた。
傷つけ合うことで絆を確認する関係が長く続くなんて、思ってはいなかった。だけど、終わりは唐突に訪れた。
感情的になった私に、ミナミくんは、少し沈黙した後、気を遣いながら言った。
「もう俺と電話しないほうが良いと思う。
ていうか、俺がもう花奈ちゃんと話したくない。花奈ちゃんに他に好きな人ができたほうが良いと思うし」
彼からの明確な拒絶に、何をどうしたら良いか分からないまま、私は電話を切った。
それが、ミナミくんとの最後の会話になった。
彼が私と繋がる全ての情報を消し去ったことに気付いたのは、翌朝のことだった。私が知る彼のSNSアカウントは全て削除されていた。滅多に掛けたことがなかった携帯電話も、「お掛けになった電話番号は現在使われておりません」というメッセージが虚しく響くだけだった。
未練がましく、彼とやり取りしたメッセージを読み返しては泣きじゃくる日々を過ごし、ようやく泣かずに過ごせるようになった頃、一通の封筒が届いた。差出人の名前も住所も書かれてなかったけど、女の子のような可愛い文字には見覚えがあった。
丁寧に封筒を開けると、分厚い便箋の束と、花の種が出てきた。手紙には、これまで彼と私がやり取りしていた頃のように、日々のありふれた出来事や、彼が今製作中の映画の話が書かれていた。
《喋り過ぎる男はカッコ悪いので、この辺にします。どうやら僕は、この半年ぐらいの間、日々の出来事を花奈ちゃんに報告するのが習慣になっていたようです。
同封したのは、ささやかですが、僕から最初で最後のプレゼントです。九月くらいに蒔いてください》
そう、彼の手紙は締めくくられた。
就職を機に、私は地元を離れて一人暮らしを始めた。ずっとロングだった髪は、二十センチも切って、顎下のボブカットにした。前髪も軽くして斜めに流してもらい、全体をカラーリングして少し明るくした。もう、俯いて顔を隠し、背中を丸めて胸を隠して歩いたりはしない。前を向いて、胸を張って歩く勇気を貰ったから。
引越屋さんには嫌な顔をされたが、ミナミくんから貰った種を植えた植木鉢も、私と一緒に上京した。
「……あ、咲いた」
ミナミくんから貰った種は、入社式の翌朝に花を咲かせた。白いデイジーだった。花言葉を調べたら「希望」「純潔」とあった。
彼から貰ったもの。
たくさんの言葉。
気持ち良かった初めてのキス。
男の人を信じても良いんだ、女である自分は素敵だ、と思えたこと。
それら全てが、今日の私に繋がっている。
ミナミくん。あなたからのプレゼントは、これが最後かもしれないけど、決して最初じゃなかったよ。私の心には、今もあなたから貰った大切な思い出が瑞々しく息付いている。
私は、咲いたデイジーの写真を撮り、そして一言、「大好きな人からの最後の贈り物は”希望”でした」と添えてSNSに投稿した。
心の中で、改めて彼に感謝しながら。
もう二度と会えなくても、この気持ちが、いつかあなたに届けと願いながら。
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