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第4話 ときめきと焦り
この年は景気が良くなかったので、地方住み女子学生のマスコミ就活は楽ではなかった。数か月の悪戦苦闘の後、ようやく東京で面接してもらえる会社が出てきた。すぐに、ミナミくんに連絡した。
《〇日、東京に面接受けに行きます。その日は高校時代の友達の家に泊めてもらえることになりました。ミナミくん、夕方少し会えませんか?》
彼はすぐ快諾してくれた。新宿駅東口の交番前で待ち合わせることになった。
リクルートスーツを汚したくない私は、面接が終わった後、私服に着替えた。ミナミくんとネッ友になってから半年以上が過ぎていた。
ようやく会える……!
口から心臓が飛び出しそうなくらいドキドキして待っていた私に、おずおずと近づいてきたリクルートスーツ姿の背の高い男の人。
「……花奈ちゃん?」
ミナミくんだった。顔も声も知っていたけど、初めてリアルに動いているのを見たら、胸が一杯でしばらく声が出なかった。私より十センチ以上背の高い彼の顔を、無言のまま見上げた。敏感で臆病な草食動物のような目の表情が印象的だった。
「……いっぱいメッセージ送り合ってたから、なんか変な感じだけど。『初めまして』だね」
彼は少し照れたように笑った。私は無言のままコクコクと何度か頷いた。
「せっかくだから一緒に映画観よっか。何か観たいの、あった?」
彼は、私が手にしていた情報誌が映画のページだったことに気付いて提案してくれた。
「あ……、えっと。これは?」
私が指差したのは中国映画だった。ミナミくんはチラッとそのページを覗き込んだ。
「へぇ。この監督、有名な人だよね。俺、まだ観たことないんだ。これにしよっか。どこで上映してるか、書いてある?」
私は雑誌を手渡した。
「……ここかぁ。行ったことないけど場所は分かる」
彼は、スマホで上映時間を調べてチケットを取り、「もうすぐ始まるから」と、映画館まで連れて行ってくれた。歩きながらの会話は、今日の面接がどうだったとか、普通の内容だったと思う。私は何となく相槌を打ちながら、少し前を歩く彼の横顔を見上げていた。
目の前にいる彼から感じ取れる情報量の多さに、私は圧倒されていた。
繊細でシャイな表情、
控え目な態度、
ちょっと甘くて少年みたいな体臭。
肩が触れそうな距離にいるから、体温すら伝わってきそうだ。
こんなに男の人に近付いた経験が殆どなかったから、緊張で頭は真っ白だったし、手には大量に汗をかいていた。
でも、それまでの私は、男の人が近寄ってきたら、じりじり後ずさりしていたけれど、ミナミくんは近付いても嫌じゃなかった。
彼と一緒に観たのは、青春映画だった。観終えた後、近くのカフェでお茶を飲みながらお喋りした。彼は映画を作る人らしく言った。
「あの監督、エロいね。ああいうアングルで女優を撮るのは定石ではあるけど。作品全体が初恋を描いて瑞々しいから、余計エロく感じた」
彼は無邪気に笑い転げた。
時折、澄んだ眼差しを向けられ、疚しさが澱のように溜まっている私の心の奥底を見透かされるような気がして、気恥ずかしく感じた。でも、彼の物腰や顔立ちが柔らかくて優しいから、男の人と二人きりで話す時に私が抱きがちな警戒心は、なりを潜めた。むしろ、居心地が良かった。
幾らでも喋っていられそうだったが、この日泊めてくれることになっていた友達から連絡が入ったので、名残惜しかったけど新宿駅でお別れした。
翌日、飛行機が新千歳空港に着陸してスマホの電源を入れたら、ミナミくんからメッセージが入っていた。
《東京出張(?)お疲れ様でした。今頃、花奈ちゃんは家に帰り着いたところでしょうか? 初めて会うことができて、良かったです。実際に花奈ちゃんに会ってみて分かったことは、思ってたより小柄でした。背は、写真だともう少し高く見えますね。あと、Tシャツが可愛かったです(笑)映画館が暗かったから、そんなにまじまじ見たわけじゃないけど》
私は頬を赤らめた。昨日着て行ったのは、デコルテが大きめに開いた黒地に白い小花柄のカットソーだった。首回りやデコルテは華奢に見えるけど、身体のラインに沿ったデザインだから、上にカーディガンを羽織って行った。でも、北海道より暑かったから、映画の途中でカーディガンを脱いだのだ。
ミナミくんは、私の身体の線を見たんだ。
遠回しに私の体型を褒めてくれたことに気付き、虫も殺さなさそうな顔をしている彼も、やっぱり男の人なんだ……と思った。
私の胸には、甘酸っぱい果実を食べた後のような、きゅんとした、ときめいた感覚が沸き上がった。
これまでは、私の身体に性的な目線を向けてくる男性が嫌で、目線を避けることばかり考えてきたけれど。彼になら、そういう目で見られても、全く嫌じゃなかった。むしろ少し擽ったかった。
実際に会ってからは、更にミナミくんと親しくなり、毎週のように電話するようになった。
良い大学に通っていた彼は、有名企業でも筆記試験やエントリーシートは通るものの、面接で落とされ続けていた。本命のマスコミでは、彼の出身地に近い地域のテレビ局の選考では、最終面接まで残っていた。
ある日、電話で彼は弱音を吐いた。
「俺、キー局は全部落ちた……。やっぱり、マスコミに就職するの無理かも」
深い溜息をついた彼に、私はキッパリと断言した。
「ミナミくんなら大丈夫だよ。これまでも、企画を考えて、そして実際に形にすることを、やり遂げてきた人だもの。私はミナミくんを信じてる」
「……花奈ちゃん、ありがとう」
彼は言葉少なに、その日は電話を切った。
その二日後くらいに、ミナミくんから、何の前触れもなく電話が来た。
「花奈ちゃん。……俺、内定決まったよ。テレビ局に」
彼は、はにかみながらも、どこか得意げだった。
「えーっ!! すごい。おめでとう!」
思わず、私の声も弾んだ。大きな声をあげた私を何人かの学生が振り返って驚いた目で見た。慌てて声を落とし教室を出た。
「花奈ちゃんと電話した後、俺、新しいテレビ番組の企画書を作ったんだ。バラエティの。最終面接に持って行った。面接官にはタイトルがダサいって苦笑されたけど、丁寧に読んでもらえたよ。……花奈ちゃんが励ましてくれたから、頑張れた。だから、一番に報告したかったんだ」
彼は嬉しそうに教えてくれた。
彼が希望通りの就職を決めたこと。
自信を失いかけていた時、私の応援が力になったと感謝してくれたこと。
どちらもすごく嬉しかった。
同時に、寂しさも感じていた。おそらく来年の春が来たら、ミナミくんは、きっと地元に帰ってしまう。私は東京本社のマスコミ就活を続けていた。彼も東京に残ってくれれば近くにいられるのに……。いつの間にか、私はそんな願いを心密かに抱くようになっていた。
一方で、私自身は、なかなか内定が貰えなくて、焦っていた。一緒にマスコミ就活していた同じ大学の同級生の男子は、全国規模の新聞社に内定したというのに。
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