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第6話 ファースト・キス
彼に連絡したら、私が内定先の会社から呼ばれて上京予定だということにした日は、空いていると言ってくれた。彼の過去の作品や脚本を見せて欲しいとおねだりして、その日、彼の部屋を訪ねた。
「ねえ、ミナミくん。私と付き合ってくれない……?」
缶ビールを片手にした私の頬は少し赤い。お酒に酔っているだけではないと、自覚していた。
「花奈ちゃんとは付き合えない。俺、地元に帰るから。遠距離恋愛は、俺にはできないよ」
ミナミくんは、彼の手に握った缶ビールを眺めたまま、私の申し出に驚きもせず淡々と答えた。
私はもうすぐ上京するのに、入れ違いで、彼は地元に帰ってしまう。
なんて皮肉。気持ちは同じなのに、タイミングだけが合わない。追いかけても、いつまでも追いつけない。
悔しかったし、悲しかった。一気に涙が溢れた。
私は、拗ねたように無言で彼に背中を向けた。
「ねえ、泣かないで……」
彼は切なげに囁きながら、私の肩を何度か揺すった。
私の耳と肌は、彼の声と指先に混じっている甘さを捉えた。溢れる涙を拭いもせず、振り向いて彼を見つめた。彼の目に炎のように熱っぽく感情が揺らめいているのを見て、私は瞼を閉じた。
この恋の爪痕を、身体にちゃんと残したかった。こんなに好きになった人のことを、ずっと覚えていたかったから、躊躇はなかった。
彼は私に口づけた。そうっと唇を合わせた後、上下の唇は、順番に挟まれた。上唇を掬い上げられ、少し開いた口に、彼の舌が浅く入り込む。入って来たと思ったら、すうっと引いて、私の口から出て行ってしまう。顔の角度を変えながら何度もキスが落ちてくるけれど、もどかしい。私の舌は、ぎこちなく彼の舌を追いかけた。
次の瞬間、私はベッドに仰向けに押し倒され、彼の身体の下にいた。
好きな人の大きな肩越しに天井を見上げて、胸がきゅっと締め付けられた。この景色は絶対忘れない。
普段は草食動物のように優しく臆病そうな瞳が、黒く濡れ、私の目を覗き込んでいる。吸い込まれそうだ。彼は指先だけで、私の腕をゆっくり摩る。撫でられた産毛の先まで、喜んでいる。肌が粟立ち、初めての快感に私はふるえた。正直な気持ちが口からこぼれ落ちた。
「気持ち良い」
「よかった。気持ち良くなってほしくて、やってるから」
彼は微笑んだ。
急に彼の呼吸が荒くなり、苦しそうに眉を顰めた。雄っぽくてセクシーだ、と思った瞬間、私の太腿に、興奮した彼自身が触れた。
好きな人に求められるのは嬉しい。だけど、こんなに大きなものを、私の中に受け入れられるだろうか? 少し怖い。
「このままで……」
身じろぎした私の肩をベッドに軽く押し止め、彼は絞り出すように少し掠れた声で私の耳元に囁いた。
彼の熱い吐息に擽られた耳が気持ちよくて、喘ぎながら身体を捩り、彼の背中に手を回してしがみ付くと、すかさず私の背中に手を回し、ブラジャーのホックを外した。ブラウスの中に手を入れて、胸の頂を摘んだ。小さな、身体の末端の突起に与えられた刺激が、背骨まで直結しているようだった。全力で駆けた後みたいな荒い呼吸になりそうだ。恥ずかしくて、必死に呼吸を宥めようとしたが、却ってふるえてしまい、余計にいやらしい。
彼も、私の吐息に混じる快感を耳ざとく聞き取ったようで、胸への愛撫が一段と執拗になった。もう、身体が蕩けて、ベッドに埋れていきそうだ。彼は、興奮しながらも、どう愛撫すると私の反応が良くなるか、強さや触り方を変えながら、窺っている。
私の口から小さく喘ぎ声が洩れると、彼は、ブラウスの胸のボタンを外した。外気と白日の下に晒されたそこは、瑞々しい果実のように丸く立ち上がり、恥じらうように紅く色付いていた。自分の身体がこんなにエロティックに男を誘うなんて、知らなかった。
「綺麗だ」
彼は、引き寄せられるように紅い果実を口に含んだ。舌の上で転がされた後、甘噛みされ、私は小さく声をあげた。
「痛い」
「ごめん」
彼は短く謝った。そのために私の胸から口を離した時、唾液が細く糸を引いた。目が合い、恥ずかしくて目を逸らした。
「やば。花奈ちゃん、すごく色っぽい表情してる。俺、止まれないかも」
彼は困ったように眉を下げ、黒く濡れた欲情した瞳と甘い声で囁いた。そして、私のスカートに手を潜り込ませてきた。
私は太腿の内側を擦り合わせて、彼の手の侵入を阻むような動きをしながら、慌てた声をあげた。
「ま、待って」
「俺に触られるの嫌?」
彼は更に眉を下げ、甘えたような声でねだってきた。
「……そうじゃなくて。もう、すごく濡れてて恥ずかしい……」
私は、どもりながら答えた。頰も耳も熱い。
「嬉しいよ」
彼は、一瞬、大きな目を少し細めて微笑み、真顔に戻って、私のスカートに手を掛けた。
「花奈ちゃん、腰、ちょっと持ち上げて」
素直に私が従うと、彼は、スカートと下着をいっぺんに引き下ろした。
「えっ、えっ?!」
恥ずかしさのあまり動揺した私の頬に優しいキスをして、彼はベッドに座り直すと、私を抱き起こした。自分のTシャツを脱ぎ捨て、私のはだけたブラウスとブラジャーを取った。
「すごく可愛くて綺麗だよ」
小さな音を立てて何度もキスをしてくれた。私が息を吐くと、腕の中に私を閉じ込めたまま、二人でベッドに倒れ込んだ。
彼の指が、私の脚の間に忍び込んで来た。そこはもう、熱を孕んでいる。指の腹で、突起を繊細に擦られると、洪水を起こしたかのように次々に中から湧き出てきて、甘える仔犬のような喘ぎ声を漏らしてしまう。
「ねえ、いつから……? いつから俺のこと、好きだった……?」
何度も繰り返し私の唇に啄むようなキスを落としながら、合間に彼は甘く囁いた。
「はっきり気付いたのは、女である自分が嫌いっていうメールのお返事を貰った時だけど、今思うと……、たぶん、初めて会う前から好きだったと思う」
この一言を返すのに、数分掛かったように感じた。呼吸が荒く乱れているのが恥ずかしくて、必死に抑えようとしたけど、抑えるほど変な声が出てしまって、うまく喋れなかったからだ。
「俺もだよ……。会う前から花奈ちゃんのことが好きだった」
彼の表情が怖いくらい真剣になった。そして、私の内側に指をそうっと入れてきた。気持ち良いとは思えなかったけれど、そこで彼を受け入れることを想像すると、不安と期待が入り混じって興奮した。
「もっと気持ち良くしてあげたい」
そんな私を見つめながら囁くミナミくんは、声の湿度が高まり、興奮している表情だった。いつの間にか枕元に用意されていたパッケージを破り、ごそごそとコンドームを付けた彼を緊張しながら見守った。それから、私の脚を開いて軽く持ち上げ、入口に彼自身をあてがった。彼が腰を押し進めて入ろうとするたび、私は小さく悲鳴をあげて腰を引き、「痛い」と繰り返した。
「……もしかして、花奈ちゃんて、処女?」
額と鼻の頭に汗をびっしょりかいたミナミくんに聞かれ、私は気まずそうに頷いた。
「そんな大事なこと、なんで最初に言わないの? ……いや、言わせなかった、聞かなかった、俺が悪いんだな」
彼は上体を起こし、膝立ちに立ち上がって額の汗を手の甲でぬぐった。既に表情は冷静に戻っていた。
「ねえ、やめないで?」
私は上半身を起こし、おどおどと、彼の腕に手を掛けた。
「……ごめん。付き合ってない女の子の初めての男になるとか、俺には無理。荷が重すぎるよ」
彼は困ったような表情を浮かべて言った。
「付き合ってくれなくても、良いの。初めてだから、ミナミくんが良いの」
なおも私は言い募った。表情も口調も落ち着いているけど、彼の下半身はまだ興奮したままなのを、見逃していなかった。
「俺が、後で激しく自己嫌悪すると思うんだ。だから、ごめん。ダメだよ」
彼の口調は、聞き分けのない子どもに言い聞かせるように優しかった。子ども扱いされて切なかった。また涙が湧いてきた。だけど、ここで泣いても、同情を買うだけだ。泣くまいと、眉間に力を入れて堪えた。
「私が処女だからダメなの?」
純粋に、彼の判断基準が知りたかったのだが、彼は、非難されていると感じたようで、返事は少し歯切れが悪かった。
「うーん……、非処女を差別してる訳じゃないんだけど。減るもんじゃないとか言うじゃん? 俺は、誰かと肌を重ねると、そのたびに何かが減ってる、失ってると思うんだ。だから、女の人は、自分を大事にしたほうが良いと思うよ」
彼は、困り顔のまま薄く笑みを浮かべて、タオルケットを私に掛けながら、優しく私の肩を押して、ベッドに横たわらせた。そして、裸のまま洗面所に向かった。その後ろ姿に向かって、私は負け惜しみのように呟いた。
「……後で、あの時寝ればよかったって思っても、知らないから」
「そうだね。たぶん後悔すると思う。でも、据え膳されてもヘタレるのが、俺っぽいとも思うから」
顔だけ振り返った彼の表情は淡々としていて、もう何を言っても私を抱いてくれないだろう、と確信した。
彼が戻ってくるまでの短い時間、彼の匂いのするタオルケットに包まって、私は少しだけ泣いた。
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