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今日も本堂で朝の祈りを捧げる。
本来住職の職務に無いものだが、長年の私だけの習慣になっている。
この祈りを捧げた後、私の1日が始まる。
そうしないと私の1日は始まらない。
長年の習慣で、私の生活はそうなっている。
いつものように、白米と味噌汁の朝食を作って食べてから、本日は久しぶりに檀家の方の家に出向く。
思えば檀家の数は、いつの間にか随分と減ってしまった。
父が住職を務めていた頃は、今の倍以上は檀家がいたのに、これも時代だろうか。
いや私の能力不足だ。
きっとそうだ。
時代のせいにするな。
かといって、檀家が少なくなったことによる経済的損失を埋めるために、他の住職がやっているようなビジネスに走る気力も起きない。
何故だか知らんが、そんな気にならない。
仕方がないので、私は私で、自らの職務を全うするしかあるまい。
それでもまだ、年に数回は葬儀や初七日、法事などで読経する機会はよくある。
しかし、何年か前から、私の涙は枯れ果ててしまっている。
かなり悲惨な最期を迎えた方の葬儀に行ってお経を読むことになっても、かっての私なら、涙を堪えるのが大変だった時代もあったような気がする。
だがいつの日か、そんな涙は枯れてしまった。
確かに坊主が葬式で声を出して泣くという光景もほぼ有り得ないから、全く職業上は構わないのだが、これが長年の積み重ねというやつなのか。
まあ職務に支障をきたさないどころか、寧ろ涙が枯れていてくれた方が冷静にプロの僧侶としての仕事が出来るので、それに越した事は無いのかもしれないが…
まぁ、気にするのはやめよう。
今日は午前中に檀家を回り、その後は特にやることもなかった。
住職のくせにスクーターを止める場所が悪かったせいで、警察官に駐車違反の切符を切られた。
挙句、公衆の面前で、警察官にこの僧侶の姿のまま、こんこんと説教された。
通行人の好奇の目に晒されてとても恥ずかしかった。
坊さんのくせに駐車違反するのか…という痛々しい人々の視線や心の声が突き刺さってきて、それに必死で堪えた。
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