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ただいま、と言って部屋に入ると、こちらも仕事から戻った芳野がちょうどスーツを脱いだところだった。
「間に合いそうか、天文台のオープン」
「どうにか」
芳野は緩めたネクタイを一気に抜くとホッと一息ついた。
この新年度から社会人になった芳野はまだスーツを着慣れないでいる。引っ越してきてから慌ただしくスーツを買い求めたが、どれを試着しても七五三のイメージから脱することができず、結局無難な紺に落ち着いた。
あれからしばし。今は、ハンガーにかかったスーツに少し着皺がついて、芳野も社会人になったのだなあと実感する。
「腹減ったろ」
大地も着替え、台所にたつと鍋に火をかけた。
沸騰する間にワカメと豆腐を用意する。切るついでにキャベツも千切りにして水にさらすと、勢いよく豚肉を炒めた。ままや直伝の豚の生姜焼きである。直伝といってもままやはその日の厨房担当によって味が変わるという実に適当なやり方なのだが、小さい頃から作る様子は目にしていたのでそれなりには仕上がる。甘じょっぱい生姜のタレを絡ませると部屋中に香ばしい匂いが広がった。
洗濯物をしまい終わった芳野が、テーブルに料理を並べていく。
「いただきます」
芳野は美味しい、と嬉しそうに言う。あまり食に興味はないと思っていたが、大地の作ったものはどれも口に合うらしく残したことがない。もっともふりかけごはんに比べたら当然美味いに決まっている。
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