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『抱いていいか』
そう言った手前、リビングにもいられず、片づけを済ませた大地は早々に風呂に入って自室にこもった。
テレビもつけず音楽も流れていない。静かすぎる部屋には外の雨音が響いてる。聞き耳を立てるつもりはなかったのに、芳野の動きが物音でわかった。
食器を洗う音、本を片付ける音。廊下を抜けて風呂に入ったことまで手に取るように伝わってくる。
いよいよ……
大地は大きく深呼吸した。武者震いがした。部屋の中で立ったり座ったりを繰り返す。落ち着かないことこの上ない。
一緒に暮らしてみると、芳野との生活は想像以上に楽しかった。
一人暮らしに関しては歴は芳野の方が長く、料理以外の家事は一通りできる。何より話をしていてもしなくても、お互いの存在が邪魔にならない。自分が思う以上に大地は芳野に惚れこんでいるらしい。
とにかくあれほどめったに会えなかった芳野が、帰ればそこにいるという事がしみじみと嬉しかった。いつも時間に追われてきた二人だったが、はじめてその制限がないのだ。
同居開始から朝晩はキスをする約束になっている。(世間一般ではそうしている、と大地が迷いのない瞳で力説したからである)
もし接触するのが嫌であれば一日二回のキスは当然拒否されるはず。行ってきますのハグも同様だ。(これも世間一般では……以下同文で押し切った)
だからたぶん俺とすることは嫌ではない。はず。
大地は落ち着かない心に言い聞かせる。
それにしても長えな風呂。
時計を見ると小一時間である。大地はさらに部屋の中をぐるぐる回った。普段の芳野はさほど入浴に時間をかけない。隅々まで玉の肌を磨きまくっているのかと思うと頬が緩んだ。しかしそこからさらに三十分、さすがに心配になってきた。
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