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「でもまぁ」
手にしていたグラスを置くと、イーヴルは笑う。
「俺は黒曜さんに引き上げられたから。棄てた夢や憧れを再び手に出来そうで、それにはとても感謝している」
「夢?」
「死んだ父さん、エンジニアだったんだよ。だから子供の頃は父さんに憧れたし、将来は父さんみたいなエンジニアになる事が夢だった」
「夢があるのに軍学か?」
「だから棄てたんだよ。父さんが死んだ時に。うちは妹も弟もまだ小さかったから、俺にお金を掛けるのはどうかと進学を躊躇ったんだ。エンジニア関連の学校に行くには学費が…ね」
「それで諦めて軍学か」
「それでも在学中に電気工事士資格を取ったのは自慢」
「それ、活かせているのか?」
「北方勤務の時には役立った。まぁでも、憧れたエンジニアには程遠かったし。6隊に異動して、そこにエンジニアがいるってのにはテンション上がったよ」
「それは班長や兄貴に感謝だな。あの人達の差し金だから、黒曜は」
「だから黒曜さんがいつも俺を傍に置いてくれる事は、本当に嬉しいんだ。その憧れた仕事をあんな傍で見られるんだから」
「…イーヴルは『エンジニア』が好きなのか?それとも『黒曜』が好きなのか?」
意地が悪いと思った。だが尋ねてみたくなった。
「『黒曜と言う名のエンジニア』が好き」
「お前、駄目過ぎだろ」
「いやいや、黒曜さん、可愛いんだよ」
「待て、話が戻ってる」
イーヴルも十分酔っ払いだった事をアイゼンは思い出した。酔っ払いにこの手の話をさせたら惚気けるに決まっている。
「やっぱり女の子なんだよ」
「あぁ?」
「抱くとさ、温かい」
「んん?」
「でも流されない」
「待て」
これ以上は聞いてはいけない。もう寝ろ、とイーヴルを黒曜の隣に押し込んだ。ここはイーヴルの自宅だ。多分許されるだろう。暫くしてそっと様子を窺えば、イーヴルに寄り添う黒曜の姿が目に入った。
「察してはいたさ」
いくら離脱していたとは言え、イーヴルとの関係もそれなりだ。気付かない訳がない。ただ、同衾の件は想定していなかった。
「まぁ、上手くやれ」
黒曜は榛原のお気に入り。下手な扱いをすれば榛原が前面に出てくるだろう。イーヴルの事だ。見ていてありありと黒曜を大事にしている事が伝わった。まず、大丈夫だろう。
アイゼンはグラスと缶を片付けると、イーヴルに向けてメモを残した。
自分の荷物を持つと、イーヴルの部屋をあとにする。玄関に鍵を掛けると、それを玄関ドアに取り付けられたポストに投入した。
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──俺には縁がないな。
夜道を今の自宅に向かいながら考える。
性格故、恋愛が煩わしい。黒曜も似たタイプかと思っていたが、そこは個人差かイーヴルの努力か。何にせよ、無表情無感情な黒曜に彩りが着いた事も、好きなものを手離してしまったイーヴルの手元に好きなものが戻るのもそれ以上のものが傍にいる事は、良い傾向なのだと思う。
──何にせよ、あれ以上喋らせたら聞きたくない事まで聞かされる。
彼の撤退判断は間違ってはいなかった。
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2021/03/12/規格外002
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