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ひたすら封筒を折り続けて二時間ほどが経ち、首の痛みが限界を迎えた。
一旦手を止めて、んーっと息を吐きながら伸びをすると、ガスコンロが一口しかない小さなキッチンの先、猫の額ほどの狭い玄関の土間に吸い寄せられるように視線が伸びた。
私のクリーム色のパンプスの隣に置いたままになっている、ナイキの白いスニーカー。
暗がりにあっても、それがあまり履かれていない新しそうなものだと分かる。
そこでまたあの夜に一瞬で心が戻っていく。
ティファニーの前。
力強く私を引き上げる腕、ひざまずいてスニーカーを履かせてくれた、私を見上げる彼の、あの茶色い瞳。
ついてなさすぎて絶望感でいっぱいだったのに、ついドキドキしてしまった、あの瞬間。
「突然、売ってくださいなんて言われても……。そんなこと、できないよ」
そう呟いた時には、何故だか少しだけ疲れがましになった気がした。
私のパンプスの値段とだって絶対に釣り合わないし、売るなんてできない。
だけどこのままこの玄関にずっと置いておくのも気が引ける。
だったら、返さなきゃ。
彼はハイブランドの紙袋の他は手荷物らしい手荷物は持っていなくて、随分と身軽に見えた。
もしかしたら近くに住んでいるのかもしれないし、よくあの辺りに買い物にきているのかもしれない。
そう推理してみたところで、また会える保証なんてないけれど。
――会えるまで通って、靴を返そう。
私は真夜中の淵で時計の秒針がこちこちと時を刻む音を聴きながら、そう決心した。
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